かつて、スペインのレアルマドリードにジダンと本物のロナウドなどがいた頃、レアルは「ギャラクティコ」と言われていた時代がありまして、訳して「銀河系集団」なわけですが、かっこいいから「ギャラクティコ」の方がいいですな。
だから羽生君のことを「宇宙人」と呼ばれるのは正しく伝統的なことなのです。
「羽生君は努力しているの!宇宙人って呼ばないで!キーッ」と言われる向きもあるようですが、だいじょうぶ、メッシもクリロナもずっっと前から宇宙人って呼ばれていて、「宇宙人と『その他』の戦い」と言われ続けてきましたからのう。
話がそれました。
羽生君とハビたんの300点銀河超えを受け、さらに羽生君は@330になってしまい、ミーシャ君やらガチ君やアモさんがイロイロおっしゃっているらしいですが、外野ではなく青春やフィギュアスケートでは無視できないお金を費やしてスケートを続けている選手の皆さんがちょっとぼやいたり意見をいったりするのは、うん、言いたくなるし言いたくなるよね、と思うんだわ。
フィギュアスケートにおける個性ってなんだろう?とイロイロ考えてみました。
今から書くのはあくまで個人的な見解です。
いまモロモロあぶりだされてきた意見、思い、というのは、羽生君がどうの、という選手個人というよりも、長年問題になってきた新採点方式の限界点・不足する部分が、羽生君が銀河系な点数をとることで噴出してきた、ということだと思います。
まず、旧採点方式より新採点方式の方がずっといいし、メリットもはるかに大きかった、というのは疑いようもないことだと思っています。
新採点方式のメリットは、旧採点方式で曖昧だった採点の基準を細かく分け、点数化したことで、序列や国籍や肌の色や体型にあまり左右されなく、実力さえあればどんなに若くてもどこの国の選手でも上位に行くことができるようになったことです。
日本フィギュア界の躍進は、新採点方式があってこそだと思う。
旧採点時代の旧ソ連と北米のジャッジの採点の差には毎回笑わせてもらったからのうww
反面、デメリットは、「個性」というより「独創性」を出しにくくなった、ということじゃないかと。
選手に個性がないわけではなく、「レベルをとるために独創的な振付をするのを躊躇してしまいやすいシステム」という印象を受けます。
以前にも書きましたが、ヤグディンのグラディエーターで途中で腹ばいになって「ズサーっ」と滑るところがあるのですが、ありゃー今の振付師さんたちは、思いついてもしきらない、躊躇してしまうんじゃないかと思うんですわ。
だって点数になりにくいもの。。。
Alexei Yagudin – 2001 Worlds Gladiator
いつの時代もスターには金切り声が
あと、ロロ様の「三銃士」のステップもですが、「お辞儀」ね!
[HD] Philippe Candeloro – D’Artagnan – 1998 Nagano Olympics – FS(Mintaka Alnilamさま)
オリンピック会場・テレビの前の何十億という視聴者に対して四方八方にお辞儀をする、あのお辞儀こそが「長野五輪のハイライト」であり「華」だったわけです。
だからこそ、今でも長野五輪の思い出として強烈な光を放っているのだと思う。
ちなみに銀メダルはエルビス・ストイコさんだったわけですが、調べるまで「だれだったけ?」と思い出せないくらいロロ様の印象が強烈でした。
しかし、今の採点基準だと、あの四方八方のお辞儀は「トランジション」で点数が伸びないだろうな。。。と今の振付師さんたちは思うと思うんだわ、思いついても。
以前からそういう話、均等化しているという話はありましたが、今出てきているお話というのは、高難度によりTESの配分が高くなりすぎている、というよりも、TESが高くなってきたからこそ、PCSをどう考えるか、どういう基準にしていくか、配分をどうするのか、今の基準でいいのか、という平昌後も見据えた現在から将来のスケートのお話なのではないかと感じています。
決して、特定のスケーターを批判しているのではなく、新採点がはじまってから今までのやりづらさ、疑問点があぶり出されてきた、ということでしょうか。(なかにははっきり言うスケーターさんもいるでしょうが~)
ワタスはフィギュアスケートとともにサッカーも好きでして。
サッカーは点数だけで勝敗が決まるスポーツですが、強豪国にもなると、勝っても「面白くない」「芸術的な試合ではなかった」と言われます。で、今は風向きが変わっているかもしれないけど、サッカー選手達、以前はバルセロナやスペインの選手達は「アーティスト」と呼ばれていたときもありました。
こんなに勝ち負けがはっきりしているスポーツで、アーティスティックな試合であることで点数なんか1点も入らないスポーツで、「今日の試合は創造的じゃなかった」と批評されるのって。。。面白いです。
私もサッカーを見ていて、「今のプレイはなんて美しいのだろう!」と感嘆することがあるのですが、そういうプレイはどのようなプレイであるか、というと「超絶技巧」「よどみがない(フローレス)」と、一番大きなファクターは「意表をついた・自分の想像を超えた時」だと思います。
「え?まさかそんな狭いところを狙って打って入るわけな。。。。入っちゃったよおおおお!」
「ボールこねくり回してるな。。。。急にスピードアップしてきた。。。え?後ろから誰か全速力で突っ込んできて。。。まさかそこにそうボールをパスします?凄すぎて笑うしかない!」
という感じでしょうか。
以前、テレビで見たのですが、サッカーで見ている人が驚きや感動を感じるプレイというのは、特にテレビの視聴者も含め、会場にいる観客も「鳥の目」でピッチを見ているので、だからこそ「ああ、あそこに走り込めばいいのに」などと言えるわけで、ピッチにいる選手とは感覚的にずれがある、と。選手の目線はグラウンド全体を見渡せる目線ではないから。
しかし、その「鳥の目」、「神の視点」で「自分が思っていたプレイ、こうなるだろうと予測していたプレイ」以上のことが起きると、感動する・快感を覚えるという内容で、興味深く聞いたことがあります。
というわけで、ゴールにボールが入った数のみで勝敗が決まるサッカーでのお話も踏まえ、「神の視点」で観戦している「観戦者が予測できないこと」というのは、見ている人の心を動かすのにとても重要なことではないかと思います。
それを、フィギュアスケートでは超絶技巧に裏打ちされた上での「パッション」「魂」「独創的な振付」「エロス」などなどだったりするわけではないかと。
羽生君のニースのロミオはまさにそうだったし、真央ちゃんのソチのラフマニノフ、ヤグディンのソルトレイクの仮面の男は、まさに質の高いエレメンツもあった上で、エレメンツをも上回る、予定調和を超えた「何か」が生み出した、マジカルな瞬間でした。
だから「スポーツだから。」というのは、かえってフィギュアスケートの限界を決めちゃっているのではないか、とさえ思うのです。
だってサッカーでさえ「創造的な試合じゃないッ!」ってなるのに(←点数には全く関係ない)、「表現ガ~ステップが~」がちゃんと細分化されて点数になるフィギュアスケートで「スポーツだから」って、割り切るのはもったいな。
「遊びこころ」こそが最後のスパイスだと思うの。
そして、羽生君が観ている人を熱狂させていくのもわかります。
彼は「予測不能」だから。
。。。。。。。。ゼイゼイ、疲れたwww
平日ですのでもう寝ます。お休みなさい~。
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コメント
この記事、ひっじょーに面白かったです!(…すいません、なんかちとウエメセ?w)
>個性というより独創性を出しにくくなった
うん!そうかもねむ。いや、全くその通りですよ!
確かにヤグディンのズザーもロロのお辞儀も独創的で、何十年たっても確かにハイライトとして覚えていますわ!
この独創性について、ルール改正の際に見直してもらえたら、もっと面白くなりそうな気がするw
ちいこさんが、その委員になってくれたらなぁw
たとえばジャンプにしろパフォーマンスにしろ、選手がそれをした時と観客が「うぉー」となるのに、若干のタイムラグがあると思うんですよ。
で、昔の選手の演技って、このタイムラグを埋めるような「間」というのかな、観客がうぉーとなれる「間」があった気がするんです。でも、今ってこの「間」がないんですよね…点にならないから。
そして間をいれずに、つなぎを詰め込むのが今の主流?なので、演技を味わいきれない部分もあるかな。えーと、つなぎも好きなんですけどねwww
ちょっと誰が言ったか忘れてしまったのですが、最近のアイスダンサーだったかな…
「観客とアイコンタクトをとるような時間がなくなってしまった…」みたいなことを言ってたんですよね。シングルだけじゃなくて、アイスダンスでもそうなんですよね。
選手と観客の間で、ツーカーみたいな「間」が取れて独創性が観れたら、ちょっと楽しそうな気がする。
サッカーのお話もワカルワカル!www
いつも神の目で観ているせいか「そこじゃなーーーい!」と叫んでますもんwww
そんな試合がほとんどなんですが、本当にときどき、トントントーンと美しいリズムと流れが観えたり、意表をついたプレーの瞬間がある。その時のゾクゾク感と言ったらもうね。
全然種類の違う競技でも、同じような理屈が当てはまったりしますよね。
そして、観る側としては、そういうゾクゾクっとした試合を観たいのだ!
藍さん(おっとあいあいさんと書くところだった)、コメントをありがとう!
今観ると、昔のプログラムってすっかすかでw今のプログラムの方が見応えがあるし、なんだかんだ言って名プログラムが多いのだけど、外連味というか、傾いた毒っけのある振付は難しくなっただろうな、と思うよ~。
なんといっても入れる「ヒマ」がない!
ズサーッやお辞儀を入れるヒマがあったら「ブレードを使ってちゃんと氷の上を滑りなさいッッ!それがフィギュアスケートよッッ!」というのが新採点基準だなもし。正論だし正論なんですが、面白くないといえば面白くないw遊びがないのよ。。。
> たとえばジャンプにしろパフォーマンスにしろ、選手がそれをした時と観客が「うぉー」となるのに、若干のタイムラグがあると思うんですよ。
> で、昔の選手の演技って、このタイムラグを埋めるような「間」というのかな、観客がうぉーとなれる「間」があった気がするんです。でも、今ってこの「間」がないんですよね…点にならないから。
> そして間をいれずに、つなぎを詰め込むのが今の主流?なので、演技を味わいきれない部分もあるかな。えーと、つなぎも好きなんですけどねwww
わかるわかる!
今のプログラムもね、凄く好きなんですけど、若干「ハイ次!ハイ次!」な印象はあるよね。。。ユーロのパパシゼはなかったけど、あのペアは特別だからのう。
シングルだと大技の高難度ジャンプがあるからなおさらそういう印象になりがちで。
「い、今のイーグルをもっとねっとり堪能したかった!」とかね。
今のつなぎモリモリも好きだけど、つなぎのほどよさという意味で一番好みだったのは、バンクーバーの頃でしたw
アイスダンス選手のインタビュー、私も記憶があります!誰だったか忘れたけど。。。
そういう意味では、ななみ先制の羽生君振付のプログラムって、古き良きロシア風味と外連味とほどよいトランジションがあって好みなんです。観る人にとっても優しいのかも。
そうね、あんまりつなぎがモリモリだと、知らずに観ている人にも緊張感が生じてしまうのかもしれぬ。
観客とコネクトできる少しの間があったらもっと最高なんだけどね!
> サッカーのお話もワカルワカル!www
> いつも神の目で観ているせいか「そこじゃなーーーい!」と叫んでますもんwww
> そんな試合がほとんどなんですが、本当にときどき、トントントーンと美しいリズムと流れが観えたり、意表をついたプレーの瞬間がある。その時のゾクゾク感と言ったらもうね。
>
> 全然種類の違う競技でも、同じような理屈が当てはまったりしますよね。
> そして、観る側としては、そういうゾクゾクっとした試合を観たいのだ!
そうだよね~サッカーは超つまらない時間を耐えて耐えて耐えて耐えてドゥーンwwっていうのが最高の瞬間ですww
違う種類の競技でも共通することは多いよね。。。とオモフ。