ゆづ君の24時間テレビでのロミジュリ、見させていただきました!
とても緊張していましたね~ゆづ君もだし、お客さんにも緊張感が伝わって、画面越しにもリンク全体がピリピリとした緊張感を漂わせているように感じました。
3Aがパンクした時には、「ひえええ~」と心配になったけど、さすがのゆづ君、すぐに根性3Aつけてきました!
リアルタイムでは見ていませんが、2年前のロミジュリとは違い、抑制の効いた、内なる炎を秘めた素晴らしいロミジュリでした。特に最後のステップ…。
現地で見た方によると、一蹴りでグーンとスケートが伸び、今までより一層スケーティングが良くなったようだとの情報が(^O^)
感動…というより、正直ほっとしたという方が正しいかな。
今回は、ゆづファン、スケオタ以外の方もたくさん見られますから、より緊張したと思います。
少し身体が重そうだったかな(>_<)。
特にこの一週間は出ずっぱりだったから、早くおやすみして、トロントで練習できたらいいですね。
前日に放送された「エブリィ」の動画、見ました。
8月29日放送 エブリィ(yusu01207様作成動画)
あと、八戸アイスショーの動画もさっそくあがってますo(^▽^)o
8月30日 八戸一夜限りのアイスショー(yuzupinoko様作成動画)
エブリィで放映された、校長先生のお話に、感謝の思いでした。
きっと、彼がずっと抜けないまま抱えていた棘を抜くきっかけになったかも…。
また、アイスショーの前に放映された、石巻を訪ねた時にお会いした石巻の方との会話…こちらの方にずしんときました。
「行っちゃダメかなと考えてた。」
「僕が行って何が変わるかってすごい考えていて、人の心の中を土足で踏みにじっているような感覚があるんです」
高台の公園で、津波の被害以降そのままになっている海岸部を見て、
「ここまで逃げてきたのかな」
そして、公園で津波の被害で家を失い、奥さんを亡くされた方と会話して…
「つらい、つらい…」
「喜んでいただけるのは嬉しいんですけどね」
「やっぱつらいな」
「今こんなに笑ってますけどね、ここまで来るのにどれだけの苦労があったのかって思うと…」
「ああ、罪悪感がある」
「きつい、つらい、つらいぞ」
石巻市の死亡者数 3529人
行方不明 436人
「ここには本当は家があって夜はここでみんなが寝ててって考えたときにその数字がどれだけ重いものかって」
東日本大震災から3年と約半年後の石巻の中学校の先生方との会話、石巻で出会った津波被害に遭われた方のお話。
ゆづ君の震災で負った心の傷を考える時に、以前から、この映画がおぼろげに思い出されていたのですが、今回のアイスショーの前の番組で、よりくっきりとイメージを感じました。
ニコール・キッドマン主演の「ラビット・ホール」という映画なのですが…。
大好きな映画です。
【あらすじ】
「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」「ショートバス」のジョン・キャメロン・ミッチェル監督が、「めぐりあう時間たち」のニコール・キッドマンを主演に迎え、愛するわが子を失った母親の悲痛な再生への道のりを繊細に描いたヒューマン・ドラマ。共演にアーロン・エッカート、ダイアン・ウィースト。本作の脚色も担当したデヴィッド・リンゼイ=アベアーの手によるピュリツァー賞受賞の同名戯曲を映画化。
閑静な住宅街に暮らすベッカとハウイーのコーベット夫妻。彼らの幸せな日常は、ある日突然一変してしまう。最愛の一人息子ダニーが、自宅前で交通事故に遭い亡くなってしまったのだ。以来、夫婦は同じ喪失感を抱きながらも、悲しみとの向き合い方は対照的で、次第に愛する2人の間にも溝が生まれていく。絶望の大きさを受け止めきれないベッカは、気遣う周囲にも辛く当たるようになる。そんなある日、彼女は息子を轢いた少年を偶然見かけ、思わず彼を尾行してしまうのだったが…。
この映画のコピーライツは、
「大きな岩のような悲しみはやがてポケットの中の小石に変わる-。」
ニコールキッドマン演じる主人公ベッカと母親のナット。ナットもまた、自分の息子、ベッカの兄を若くで失っていました。終盤、ベッカとナットがこんな会話を交わすシーンがあります。
「悲しみは消えるの?」と問う娘に、母は少しほほえみ、少し悲しい表情で語ります。
「いいえ、悲しみは無くならない。でもそのうち耐えられる重さに変わってゆくわ。
大きな岩のような悲しみは、やがてポケットの中の小石にかわってゆくの。そうすると一瞬忘れてしまうこともある。
でもふとポケットに手を入れると小石に触れてまた思い出してしまう。それは辛いことだけど、あの子の代わりに小石が入ってるってことなの。
だからポケットの中に小石を持ち歩くってことはそれほど酷いことじゃないのよ。」
愛する家族を、人を亡くした悲しみ、つらさは、時間だけが解決する-。
岩のように大きく、押しつぶされそうだった悲しみは、時間とともに少しづつ、少しづつ小さくなり、やがて、ポケットの中の小石にように、少しの悲しみを抱えながら日常生活と共存していけるようになる。
でも、その悲しみはふとした拍子に湧き上がり、決して消えるものではない-。
10年程前に、父を亡くしましたが、年月の経過だけが悲しみを薄れさせるというのを実感しました。3年ほどかかりましたが、1年目は何をやっても、病気がわかった時の、亡くなる前後の光景をまざまざと思い出したものでした。
10年経過していますが、今でも、亡くなった時の光景を思い出すと、涙が溢れます。
ゆづ君が抱える罪悪感、愛する故郷が破壊された悲しみ、地震への恐怖、死への恐怖…。
どんなに周りが「大丈夫だよ」「自分のために」と言っても、繊細な心が深く傷ついた直後、1~2年では、傷跡はなかなか小さくならなかったでしょう。
震災から3年と半年経過して、ようやく、年月が少しづつゆづ君の心の傷を埋めはじめ、やっと、石巻市で訪問した中学校の校長先生の言葉で、少し胸のつかえがとれる準備ができたのかも…。でも、完全にぬぐい去ることは難しいかもしれない。
ポケットの中の小石のように、少しの罪悪感と悲しみを抱えながら、共存していくしかない。
【追記】
後から読んだら、かなりネガティブになっちゃってることに気付いたので(><;)
やっぱりゆづ君にはせめて、せめて罪悪感は砂ぐらいになってほしい(>_<)。本当は消えてなくなってほしいけど。震災を経験していない私には、この罪悪感がどういうものなのか、どうしたら少しでも軽くなるのか、なくなるものなのか、何ともいえません…。
いつの日か罪悪感を手放すことができれば良いですね…。
もう十分だよという気持ちを、ゆづ君に届けたいです。
いつの日か、被災者の方々の悲しみ、苦しみが、少しでも小さくなりますように。
ゆづ君が抱えている傷が、少しでも小さくなりますように。
そう願いながらゆづ君の素晴らしい演技をかみしめました。
(でもアナウンサーのナレーションはいらなかったぞっ)
○最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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