国別対抗戦の3日目、4月18日(土)に、せっかく東京にきたのだからと、サントリー美術館で開催中の「若冲と蕪村展」に行ってきました。
伊藤若冲は、宇多田ヒカルさんが2002年に発表したシングル「SAKURAドロップス」のミュージックビデオでフューチャーされて、大きな話題になっていたこともあり、当時爆発的な人気となりました。
私も、その絵を見て、一目で虜になった一人です。
当時、ちょうど地元にも巡回展がきて、その絵を見て衝撃を受けました。
代表作の「動植綵絵」は、曼荼羅のような極彩色。
過剰なまでに細部まで描き、かといって写実的というわけでもなく、大胆にデフォルメされている形態のデザインも多い。彼の頭の中で再構築されたデザインは、コントラストがはっきりしていて、鋭い。見ているこちらの心の奥底を揺さぶって目を離すことができなくなる迫力がある。
その過剰さから、写実的なのに幻想的な雰囲気さえただよう。
250年のときを超えて、絵から感じるのは、動物たちの眩いばかりの命の輝き。
とくに群鶏図の一群は、圧倒され、見ているうちに、盆栽を見ている時のように、絵の中に入り込んでしまうような不思議な感覚がするのです。
また、虫たち、貝、海の生物など、小さな生き物たちを優しい、慈しむような筆で、緻密に描いている。
植物も、綺麗な葉ではなく、朽ちかけた葉、虫に食われた葉などを、それはそれは優しいタッチで描いているのである。
若冲のこういう絵を見るとき、私はある台詞が頭の中に浮かんでくるのです。
手塚治虫が描いた「ブッダ」という漫画の中にある、
「ご覧、世界は美しい。」という言葉です。
生きとし生けるものへの愛おしい眼差し。
現代社会の中では、一番失われつつある気持ちだろうな。
だからこそ、そういう視点で描いている若冲の絵を見ると、生命の輝きが絵からあふれ出てくるような、そんな印象を受けるのかもしれない。
若沖は、絵を描くこと意外、世間のことには全く興味がない人だったという。
鶏を描こうと思ったときに、庭に鶏を放し飼いにして、何十枚もの模写をしつづけたそうである。
まごう事なき、日本画道の修行僧、オタクである。
そんでもって、私は個人的に、羽生君の演技から受けるものと、若沖の絵を見るときに受ける印象が似ているんです。
魂に訴えかけるというか、命の輝きを感じるんだな。
どっちもリミッターをかけていないし…(オタクだからのう)。
生きとし生ける者への優しい眼差し、も共通点。
プーさんティッシュケースを生きているかのように扱ったり、NHK杯のエキシビの練習のときに、ガーベラちゃんを指して、「この子」と言ったり…。
ところで、若い頃は、華麗でコントラストがはっきりした絵を描いていた若冲も、晩年はユーモラスで力を抜いた、洒脱な絵を描いている。「野菜涅槃図」なんかは、最高です(*´Д`*)
年をとるというのは、失うのではなく、別の何かを手に入れるチャンスが増えていくのだなと思う。
晩年の若冲のユーモア溢れる絵を見ると、そう思うなあ。
そういえば、北斎もそうよね。
どちらも元気で長生き…オタク活動が長生きの秘訣…かもしれない(^_^;)
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