数日前、いったんお話しをあげたのですが、自分自身で違和感を感じて取り下げました。
以前から、小林麻央さんのブログは拝見していましたが、最近は海老蔵さんのブログを見ては涙。。。
父も部位は違えど同じ病で亡くなりましたので。。。また、入院していた病院にはお若い患者さんが全国からいらっしゃっていたので、その時のことが思い出されます。
愛する人、肉親を亡くした悲しみは、大きな岩となって遺された家族にのしかかってきます。
旅立たれた方が若ければ若いほどその悲しみは大きく。。。
海老蔵さんが、舞台や稽古場では歯を食いしばりながら、笑顔でいながら、
心の中では血の涙を流しつづけている様が当時の我が事のようで、
あのブログの記事も歯を食いしばりながら、なんとか日常をおくっている、そんな気合いを感じて切ない。
大きな悲しみにある人が表向き平穏そうな日常生活をおくるには、気合が必要なのだ。
そして、そんな海老蔵さんのブログを読みながら、今まさに愛する人を失いつつも、生活のために働かないといけない方、平穏な日常生活をなんとか送ろうと頑張っている方は、シンパシーを感じるのでは、と思っている。
今の日本では、死を感じる場はなく、家族を亡くされても仕事や地域生活など、「表」の世界では、平気なフリをしている方も多いのだ。
しかし、家に帰れば、誰しも思い出しては泣き、思い出さなくても泣き、ふとした拍子に崩れおちそうになる心を必死に元に戻そうと踏ん張っているのである。
私が思うに、特に男性は外では泣けないぶん、踏ん張ってらっしゃる。
旅立たれた愛妻への悲しみをブログに書いていらっしゃる海老蔵さん。
そのブログを読んで、ああ、私だけではないのだ、と救われる方も多いと思います。
どうか、自由に、思いの丈を書いてくださいませ。
いつか、岩のように大きな悲しみがポケットの中の小石になる時がくることを祈りつつ。。。