今回はまじめな話です。
念のため書いておきますと、ブログの題名の下に
「日々思ったことやフィギュアスケートやスポーツのことなどちまちまと。・・・」
と書いております。フィギュアスケートとスポーツより前に「日々思ったことや」とちゃんと書いてありますので。
これからもフィギュアスケート・スポーツのこと以外のことも書いていきたいと思います!
と言いましても今回は若干関係ある話でありますが。。。
先日検察庁改正法案に抗議します話を書きましたが、予想通りきゃりーぱみゅぱみゅさんかよ!と思うような反応がきましたなあ。
まあいいんですけどw
わたしゃ何でも反対してるわけではないですお?
今話題の種苗法改正と国民投票法改正についてはもっとよく見てみないとわからない、の考えです、今のところ。
それにしても、わたしが何に反対していたのか、ずっとくすぶっていたのか、これまでの記事を自分で振り返って見たらよくわかる。
①バックボーンがふにゃふにゃ
②法的なプロセスが弱い
③根拠が支離滅裂
④官僚を使い捨てて保身に走る=従業員は使い捨て=国民は使い捨て
(財務省が勝手にやりました、から今度は法務省のせいにしだしたよね、安部ちゃん。。。秘書がやりました、とか従業員に全責任負わせて自殺させる企業の社長やパワハラ上司と何らかわんなくないですか?)
なんというか、丸山眞男氏が提唱した戦前戦中のなしくずし的に無謀な戦争に突入していった「無責任の体系」が凝縮されたかのような政治なんですよね。
日本だって大正デモクラシーもありましたし、昭和の一桁台の頃の映像や写真や建物を見るのが大好きなのですが(ブライズヘッズふたたびや英国王のスピーチ、モボ・モガ、フレンチカンカンの時代です)、その頃の映像を見るとここから10年経過しないうちに軍国主義に飲み込まれていくのが想像できないほどです。
ちなみに、無責任の体系とは、日本お得意の「同調圧力」「空気感で決まる」「お友達間でなんとなく決まる」にはじまる、
「根拠もなく周りの空気でなんとなく決まっちゃう」
ものですw
どうでしょう、これ今の政権そのものなんですよねww
だからナチスドイツのヒットラーや旧ソ連のスターリン、中国共産党の毛沢東などとはちょっと毛色が違うんですよね。
だから主犯者らしき人がどうも見当たらない、ということで戦後の戦犯裁判もドイツなどとはちょっと異なるところがあるんです。
「根拠もなく周りの空気でなんとなく決まっちゃう」
こういう空気で物事が決まって行きやすい日本だからこそ、法的統制が必要なんですお。
だから、戦後なぜそういう法体系になったのか、戦前の旧法の何が問題で失敗したのか、戦後の新法ではどこに重点的に気を付けて法が制定されているのか。
法の歴史、経緯、プロセスが大事なわけであります。
言ってみれば、あの“内閣が検事の定年の延長を決定できる”、は元々旧法にありまして、それだけが原因ではないですが検察に政治が介入する綻びが出てきてしまい、検察による政治弾圧、思想統制が始まった反省から、新法でわざわざ、わざわざww削除した部分を旧法のとおりに復活させたんですお。
[旧裁判所構成法(明治23年)80条の2では、検事総長につき65歳、その他の検事につき63歳が定年とされていた。ここまでは現行制度と同様だが、同条には「但シ司法大臣ハ三年以内ノ期間ヲ定メ仍在職セシムルコトヲ得」と定められていた。すなわち、旧制度のもとでは司法大臣の判断により検察官の定年を延長することができたのだが、昭和22年に制定された検察庁法では、あえて定年延長規定が設けられなかった。なお、昭和13年に検察庁独立法案が提案(この法案は成立せず)されていたことからも、政権が検察に介入することがあり、それを防止するために検察庁を独立させようと苦闘していたことがうかがえる。]
という重要な歴史、プロセスがあるんですな。
いや~旧大日本帝国憲法を信奉する政権らしいですな。
で、ブログにフィギュアスケート関係で「USMはアイスショーでアジアのスケーターも呼ぶくせにDHCと契約するとか何考えてるのか(ちなみにパントンをFOIに呼んでますがDHCは中国への差別的言動ありあり)」「国際的なフィギュアスケートというスポーツにそういう団体を近づけるなー」「クアドラプルアクセルは全員応援を標榜している雑誌のくせに羽生アンチである記者もどきをライターとして起用するとは編集部の基本的姿勢を疑う。今号は絶否購買。」とか書いてきて、「ある種のファンがこういうことを言っているんだなとわかりました」とか「そこまで気にしなくても」と言われることもありましたが、
今ならおわかりいただけるだろうか??
と思ってますw
特にあのUSM。。。昔2012年からソチ前くらいにかけて羽生君に嫌がらせをしていたことは有名ですが(え?知らない?)、今の金儲けできるならエビデンスや法務部門のチェックはいらね、な姿勢はそのまんま所属している選手の使い捨て感を感じますがねえ。
やっぱりね、プロセスや健全であることを怠ってナアナアにしているとアカンのですよね。
それは巡り巡って本人達に返ってくるわけですから。
作成の過程をおざなりにする、というのは引いては購入者、ファンをおざなりにしているのと同義でありますな。
これ、政治でも言えますよね。
やはり、近江商人いうところの「三方よし」こそ、回り道に見えて結局最終的にはみんな満足するのでありますなあ。
翻って、羽生君は本当に本人も素晴らしいですし、素晴らしいブレーンがいますなあ。
そして、確実に法的チェックを入れている専門家がいるのを感じます。
あと、仙台に行ったときに「そうか、宮城、特に仙台は武家文化が今に息づいているんだな」と凄く感じました!
町人文化ではないですな。
仙台の成り立ちからして伊達政宗公が仙台に移って青葉城を築城して城下町仙台ができた、という歴史がありますしなあ。
殿りそに出てきたまさにあの気風ですな。
だから宮城の方は関西人(町人文化の巨人w)がゴリゴリの関西弁でしゃべると固まる、というのもあるのかしらんwとふと思いましたw
あと多分名古屋の気風とは全然違う印象ww
最後に、ブログで政治的なことを書くな!という方はじゃあ給付金10万円をアイスショーやフイギュアスケート関係に使わないでくださいね~とかもしかして現金10万円より政府の当初案の一つだった和牛券の方が良かったんですか!?□▲?奇特なお方ですな!という言葉を前もって言っておきますね!