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山田満知子コーチと駆け出しデヴィッド・ウィルソンのお話し。

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先日、ネットをさまよっていましたらですね、超面白い記事をみつけましたww
お話には聞いていたのですが、2012年に城田さんがスポーツ報知に連載していた「フィギュアの世界」。
羽生君がニースワールドの後、クリケットに行ってからの連載なんですね。
その中の記事がいろいろオモシロかったのですが、特に、山田満知子先生のお話が超面白かったのでご紹介。
後半の別の記事には、宇野君のお話もでてくるよー。
こちらの記事は、他ブログさんの転載ではなく、ネットの当時の記事がキャッシュなどで残っていたものから掲載しました。
そのため、飛び飛びになっています。
城田憲子の「フィギュアの世界」(2012年6月15日16時47分 スポーツ報知)
日本のメダリストのコーチたち~山田満知子〈1〉
この対談の大トリを務めるのは、スケート王国・名古屋が誇る名コーチだ。日本人初の五輪メダリストの伊藤みどりに始まり、恩田美栄、中野友加里、浅田真央…、そして現在の村上佳菜子へ。名古屋・大須のリンクから飛び出したスターたちを、肝っ玉コーチはどう育てていったのだろうか?
 城田「山田先生は意外にも、選手として滑っていた時間が短かったのよね。高校生でもう、アマチュアを辞めちゃったんでしょう? そして大学生時代に、コーチを始めたんだったかしら?」
 山田氏「そう、本当は東京の大学に行く話もあったんだけれど、『娘一人、東京に出してもろくな人間にならない』って、母親が(笑)。やっぱりあの時代、女の子は手元に置いておきたかったのね。でもその頃の名古屋のスケートの人たちは、みんな東京に出てっちゃったのよ。古橋ひとみちゃんに、朽木君、藤森美恵子さん、それからちょっと後に、坊や(小塚嗣彦氏)」
 城田「そうやって挙げてみると、ずいぶん名古屋の人が多い。すでにその時代から、名古屋はスケートが盛んな土地だったのね」
 山田氏「でも若い子たちはみんな東京に行っちゃった。私だけが名古屋に残ってて。それで結局、選手を辞めてからも愛知県連盟の手伝いをしてくれないか? ってことになったんです。バッジテストや合宿で、曲かけをしたりのお手伝いね。でも私は、スケートがあまり好きじゃなかった。城田さんはどうだったか知らないけれど(笑)」
 城田「私も好きじゃなかった(笑)。でも山田先生は、お父様がスケートに熱心だったでしょ?」
 山田氏「そう。でも私は本当にスケートが好きじゃなかったの。ただ、今まで選手としてお世話になってきたんだから、ってお手伝いを始めたんです。そうしてるうちに、やっぱり熱心なお母さんたちがいてね。私はまだ若かったから、おばちゃんの先生よりいいだろうって、『ちょっとだけうちの娘を見てくれませんか?』なんてことになってしまうの。コーチなんてやるつもりはなかったけれど、それでもバイト感覚で、全日本なんかにも付いていくようになっちゃった。もう、結婚したら辞めようと思ってたのよ。だけどやっぱり名古屋にコーチが足りなくて、さらに教えていた子たちが…」
 城田「伸びてきちゃったのね!」
 山田氏「そう、だからお母さんたちが辞めさせてくれないの。子どもを産んだ時に一度は辞めたのに、『先生、ちょっとだけ、ちょっとだけ』って言われて、結局また始めて。そのうちに出てきたのが、みどり(笑)
 城田「みどりちゃん! そうなるともう、辞められなくなっちゃう(笑)
 山田氏「本当にそうなの。今の佳菜ちゃんたち若い子にとっては、先生としてプロになるって夢だったりするでしょう? でも、私は違った。私なんて、コーチになるつもりでなったわけでも、夢だったわけでもない。今思えば、みどりが出てきたりして、運が良かったのね」
 城田氏「そのみどりちゃんを見つけたのは、どういういきさつ?」
 山田氏「あの人は普通に、大須のリンクの近くに住んでたんじゃないかな? それで日曜日になると、家族と一緒に滑りに来てた。子どもなんて、みんな上手に滑るものよね。それでほとんどの親が、錯覚するの。『うちの子、素質あるんじゃないか?』って。みどりも同じで、子どもがせがむからって、日曜だけじゃなく平日も毎日毎日来るようになった。リンクに置いておけば、1日勝手に遊んでるしね(笑)」
 城田「そのうちに、スケート教室に入るようになったの?」
 山田氏「最初のうちは、大須のリンクの中日スケート教室。今では考えられないけれど、最初はホッケーの人たちに習ってたの。フィギュアの教室というより、ただ滑ることを習う教室。私も自分の生徒を教えながらみどりが滑ってるのを見てたんだけれど、うちの生徒よりみどりの方が上手なんですよ。そうしてるうちに、タダレッスン(笑)。みどりも貪欲な子だったから、どんどん習いたがってね、結局はタダで教えちゃってた」
 城田「確かにみどりちゃん、小さいころからみんなとは違ってた
 山田氏「そう、賢かったのね。勉強はだめだったけれど、やっぱり勘がいい。学校の勉強はできても、ボーっとしてる子はだめなんですよ。『今、先生は私に何を求めてるのか』『今の自分には、何が必要なのか』キャッチする力がすごく必要なんです。スケートじゃなくても、何をするにもそうじゃないかな? みどりも頭の良い、勘の良い子だった。綺麗でセンスがいいとか、上品というのではなかったけれどね。でも、判断能力があって、先生の言うことをばっちり理解できる
 城田「みどりちゃん、その頃から目立っていたらしい。東京の私の所に才能がありそうな、ちっちゃな子がいるから名古屋へ来てくれって…。とにかくスピンは早いし軸がありジャンプが高く、本能で跳んでる感じがするらしいから『見て!見て!』と催促が再三。私は、その頃ただの強化委員。自分の子供も小さいから、名古屋まで行けないわよ。じゃぁ、品川のリンクのエキシビションに呼ぼうか? が始まりだった」
 山田氏「でも、あの頃、東京に憧れて出ていった人たちにしてみれば、名古屋でくすぶってるはずの私が、みどりで目立ち始めて、あんまりおもしろくなかったみたい『あの子に何が出来るの?』って言われてたものね」
 城田「そこにさらに城田が張り付いてたから、余計に『山田先生って何なの?』って言われたのよね(笑)」
 山田氏「でも仕方ないのよ。例えば(佐藤)信夫先生なんかは、日本のチャンピオンでエリート中のエリート。コーチになってからも西武に入られて、出世コースじゃないですか。それに比べれば、私なんかもう、本当に田舎者(笑)。だから『まっちゃんなんかに、何が教えられるんだ!』みたいに、本当によく叩かれたたものよ(笑)。だけどそんなことがあったから、たぶん私は頑張れた。あの時に甘やかされてたら、ちょっと今のようにはいかなかったかもしれないわね」
 城田「みどりちゃんが出てきて凄い選手がいるって、みんなに騒がれて。そこから本格的にコーチの人生が始まった」
 山田氏「そう、だからみどりが出てきて楽しくなったんじゃなくて、とっても苦しくなりました(笑)」
 城田「その頃東京でもね、毎日品川のリンクに集まっては、『みどりをどうしようか?』『どうしたら世界に出せるか?』って、話し合いをしてたのよ。連盟では藤森美恵子さんの実家が名古屋、お父様が名古屋の名物市長さんだったという事もあり、ちょくちょく名古屋に里帰り。でも名古屋まで行けない人もいたから、東京のエキシビションに呼んでみよう、と。そこでまず、毎年品川でやってるエキシビションで滑らせたのね。それを見て驚きだった。こんな子がいるんだ。こんな天才が名古屋にいたんだと、氷上のみどりちゃんからを目が離せなかったことを覚えている。それで『これいける!』と、『みどりプロジェクト』が始まったんだけれど…。私も山田先生に、おうちにみどりちゃんを引き取るように勧めたりして」
 山田氏「私がみどりを預かったのは、小学校の5年生くらいかな? でもうちはその前から、選手たちがしょっちゅう泊りに来てたから、みどりが来ても違和感がなかったのね。今は佳菜ちゃんだって、しょっちゅう泊まってる。実は今日も、みどりとその頃のことを話したんだけれど、『あなたはうちの娘よりわがままだったわね』って(笑)。その頃の選手でかわいがってたのが、みどりと大島(現・淳コーチ)と美穂子(現・樋口コーチ)。あの3人が仲が良くて、うちでもよく遊んでた。まあ、一番手のかかったのが、みどりだったけどね(笑)。今は3人それぞれが、それぞれの道を進んでくれてる。3人とも、今でも時々、うちに寄ってくれるんですよ」
 城田「いいわね。先生の所は、ずっと慕ってくれる選手が多いわね。私がその頃、山田先生と初めて一緒に行った遠征は、サンジェルベのアルプス杯(30年前ほど)だと思うんだけれど」
 山田氏「ああ、あの汽車に乗って、ドイツからフランスに移動する大会。各国のスケート選手みんなが同じ列車に乗って、食堂車も付いてて…。あれは良かったわねえ」
 城田「ドイツとフランスの2つの試合を合わせてアルプス杯。その移動の列車の中で、ずっとパーティーやりっぱなし! あの頃が私にとって一番の思い出なのよね。まだみんな、色々な事に無心で取り組んでいて。アルプス杯は、朝ご飯もみんなで用意したのよ。大島君が厨房に行ってゆで卵を人数分もらってきて、みんなでテーブルまで運んで。朝からコンパルソリーの練習をしてる選手たちには、お盆に食事を乗せてリンクまで持って行ってあげて…」
 山田氏「楽しかったわねえ」
 城田「今では考えられない雰囲気でしょう?」
 山田氏「後はオーベルストドルフ大会後のチューリヒ。乗継便の関係で1泊することになった時の話。チームみんなが一つのスイートルームで大家族みたいに泊まったのよね。大島と加納(誠さん)が一緒に寝て、城田さんと私はこっちの部屋で、久永さん(勝一郎氏=元会長)には屋根裏部屋に行ってもらって(笑)」
 城田「あの頃の無心さが、今は懐かしい」
 山田氏「あの時代は、渡部絵美さんや佐野稔君が出てきて『メイド・イン・ジャパン』。日本の選手たちが少しずつ世界に出ていく下準備が出来た頃。会長に、大橋和夫さん、杉田秀男さん、土ケ端武志さん、のこちゃん(城田)という体制が出来上がって…。そこに私たちみたいなのも、ちょこちょこ後ろから付いて行ってた。これから次の時代を作り上げて行こう、そんな時だったから、難しいと事も多かったのよね。でも、楽しかった。色々揉めもしたし喧嘩もしたけれど、今みたいな揉め方ではなくて、もっと意気揚々とした喧嘩だったな。何かやられても、何クソーみたいな(笑)」
 城田「あの頃はみんな『日本を強くしたい!』っていう同じ目標があったのよ。そこに向かってみんなで登って行こう、っていう雰囲気。みんなで一つになって登り詰めるんだ、そんな気持ちを持っていた時代だったのよね」(つづく)
城田憲子の「フィギュアsの世界」(2012年7月23日17時50分 スポーツ報知)
日本のメダリストのコーチたち~山田満知子〈4〉
山田氏「まあ、そんな風に私たちのやり方や、私がみどりを育てることに対して反対の人がいっぱいいたと思うんですよ。でも無事にみどりが引退して、次に小岩井(久美子)がいろいろな大会に出させてもらえる選手になって、そして恩田(美栄)、中野(友加里)、舞、真央(浅田姉妹)が続いて…。今は佳菜ちゃん(村上佳菜子)と、私も選手に恵まれてるよね」
 城田「選手たちを育てたことに加えて、山田先生の功績で面白いのは、振付師のデビット・ウィルソンを、早くから日本に呼んでたでしょう? みどりちゃんから始まって、真央ちゃんくらいまで」
 山田氏「デビットね。みどりが引退して、ショーに出てたころかな? アメリカやカナダの男の子たちを見てると、すごく目に入ってくるプログラムがあってね、『誰が振り付けてるのかなあ?』って思った。聞いたら、デビット・ウィルソンって人だよ、って。それで樋口先生(樋口美穂子コーチ)にコンタクトを取ってもらったの。最初はみどりのショーの振り付けを頼みたいと思ったのね」
 城田「デビットといえば、ヨナ(金妍兒)に(ジェフリー)バトル、高橋大輔君と、ビッグネームの振り付けで知られてるけど…」
 山田氏「当時はまだそれほど有名じゃなかったから、『名古屋に来てくれる? 』って頼んだのよ。しかも『安くお願いね』って(笑)」
 城田「安くね(笑)」
 山田氏「うちはそんなに払えないからね。その変わり出来るだけ稼げるように、みどりから初心者の子どもたちまで全員見てもらったの。長い時は1カ月、名古屋にいてもらったかな」
 城田「ちびっ子までデイビット! 今じゃ考えられない…」
 山田氏「働く気があるのなら、お願いしたい仕事はいっぱいあるのよ、と」
 城田「でもデビット、芸術家タイプだから気まぐれで、大変なこともあったでしょう?
 山田氏「うん、だから私、すごく怒ったこともあるよ。『そんなにたるんでばかりじゃ、お金払えないよ!』『お金稼いでカナダに帰りたかったら、頑張りなさい』なんて。今考えるとすごいことだけれど、彼は大須のリンクの一般営業の時間に子どもたちを教えてくれてたんですよ
 城田「あの、お客さんでいっぱいのリンクで? 今はトロントの名門クラブで貸し切って振り付けしてるのに!」
 山田氏「ある時、小学生の団体が遊びに来たの。リンクを仕切って、あっち側では子どもたちがギャアギャア騒いでる」
 城田「そのすぐ近くでプログラムの振り付け…」
 山田氏「そう、デビットもさすがにギャーっとなって、リンクの真ん中でキレて出てっちゃった!
 城田「さすがにかわいそうねえ」
 山田氏「美穂子先生とね、『どうする? 怒って出ちゃったよ』『仕方ない。捜しに行くか…」って(笑)。彼には日本のリンク事情を話して、『ごめんね、日本はこうなの。イライラするかもしれないけど、頑張ってね』って言った」
 城田「今や彼に振り付けてもらいたくて、世界中の選手がカナダに行く、そんな振付師よ」
 山田氏「ねえ(笑)。そんな風にデビットの振り付けたプログラムを、例えばジュニアの選手たちが国際大会で滑るでしょ? そうすると、『これ、誰の振り付け?』ってよく聞かれたな。時にはカナダの人にも聞かれるから、『デビット・ウイルソン。カナダの人よ!』って言っても『ええっ! 誰?』って驚かれたりもして(笑)」
 城田「私が覚えてるのは、みどりちゃんがアイスショー(97年プリンスアイスワールドなど)で日本の曲で滑ったプログラム。『ずいずいずっころばし』だっけ?
 山田氏「そう、『ずいずいずっころばし』。あれはデビットよ
 城田「あれは、かわいいプログラムだった。そのことでデビットと話したこと、覚えてるわよ。『このへんでもうひとつ、ステップ入れたらどう?』『いいねえ』って。でもみどりちゃん、ステップ増やしたらジャンプ跳べなくなるからイヤです、って(笑)」
 山田氏「そのうちデビットも、カナダでトップの選手たちの振り付けをするようになって」
 城田「(ジョアニー)ロシェットとか、(シンシア)ファヌフとかね。あれが05年頃でしょう? 実は山田先生の方が、先に彼の才能を買ってたのね」
 山田氏「そうそう(笑)。古くからの付き合いだからね。デビットが何かのインタビューで私のこと、『日本のママだ』って話してくれたのよ。真央ちゃんを連れて世界ジュニアに行った時も、彼がわざわざ会いに来てくれたの。『デビットっていう人が、先生を待ってますよ』って言われて、どこのデビット? って思ったら、彼だった。もう結構有名になってたのに、ずっと私のこと待っててくれてね
 城田「05年の世界ジュニア(カナダ・キッチナー)ね」
 山田氏「そう。『いやあ、久しぶり』『デビット、ちょっと太ったんじゃない?』なんて話したの(笑)。デビットはまた、美穂子のことをすごく可愛がってたし、認めてたみたい。『カナダに連れて帰りたい』『自分と一緒に仕事をさせたい』って、よく言ってたな
 城田「今でも選手たちが海外に振り付けに行く時は、だいたい美穂子先生が付き添ってるわよね」
 山田氏「うん、デビットの後に真央ちゃんたちは、リー・アン・ミラーやローリー・ニコルのところに行ったんだけれど、だいたい美穂子に行ってもらってた。美穂子も振り付けのアイディアをすごく豊富に持ってる人だから、デビットだけじゃなくみんなにかわいがってもらったのよ。他の振付師がついてくるのはダメだけど、美穂子だったらいいよ、なんて言われてね。去年も真央ちゃんの振り付けで名古屋に来てたローリーが、『ミホコ、元気?』って訊いてくれたの
 城田「美穂子先生も、世界中で勉強してきたんでしょうね」
 山田氏「色々な人と組んで来て、美穂子もたくさんのノウハウを得られて。また今度は違う人とやりたいってことで、去年は佳菜ちゃんと一緒にタラソワの所に行ったり、マリーナの所に行ったりもした。ありがたいなって思いますよ。私たちチームみんな、あちこちで良くしてもらって。デイビッドにも、私たちがまだこんなに頑張ってるところを見せたいよね、って美穂子と話すのよ」
 城田「デビット、本当に毎年のように名古屋に来てたものね。もう世界的な振付師なのに」
 山田氏「その世界的な振付師に、文句言って作り直させたの、誰だっけ?」
 城田「アハハハハ」
 山田氏「『これダメ、やり直し』って(笑)。あれは美栄の時だったかしらねぇ。当時は美栄ちゃんが日本のトップの一人だったから、城田さんがわざわざ名古屋に来たのよ。『え、デビットって人を呼んでるの? じゃあ見に行くわ』って。そしたらいきなり、『このプログラム、左回りばっかり! もうスタートから変えなさい』って(笑)。しょうがないからデビットに、『左回りばかりでダメだって。スタートから変えろって言ってるよ、連盟が』って伝えた。あれには彼もびびったと思うよ。『はあ?』って(笑)」
 城田「いやあ、あの頃は私も純粋というか(笑)。デビットもまだ若くて、ぶつかり合ってね。『これダメ』『もう、曲から変えちゃいなさい』とか(笑)。でも私とデビット、今でも仲良しなのよ。去年も中国でたまたま会ったの。私が参加したセミナーに彼も来ていて、『日本は最近声を掛けてくれないけれど、中国は僕を呼んでくれるから来てるんだよ』だって(笑)。まあ強化部長だった頃には、選手を強くさせようって気持ちできついことも言ったし、怒ったりもしてきた。でもやっぱり、常に本音で付き合っていきたい気持ちがあったのよ」
 山田氏「城田さんがわがまま娘だってことは、よく分かってますから(笑)。でもやっぱり、そんな人も一人、連盟にいなきゃいけない。聞きわけのいい人ばっかりじゃ駄目なの」
 城田「私もかなり無茶やったけれど、山田先生だってけっこう無茶苦茶だったんだから。私たち、ぶつかりあったりもしたけれど、でもいつもどこかで…」
 山田氏「そう、城田さんと私って、どっかで仲がいいんですよ。連盟とインストラクターって、絶対に相いれないものがある。本来、そうあるべきだ、とも思う。だけど城田さんと私って、どこかでお互いに認め合える部分があるのよね。たぶん連盟とインストラクターという枠を越えた、人間的な共通点があるのかな? お互いに人間的に、惹かれあってるのかな? ちょっと、褒めときましたけど(笑)」
 城田「そうよね(笑)。だからぶつかり合いそうでいて、そうでもないよね?」
 山田氏「いや、ぶつかり合ってはいるけれど(笑)。でもお互い正直だからね」
 城田「お互いにわがままだしね(笑)。よく遠征先でも、みんなの目を盗んで買い物に行ったりしてた。『試合終わっちゃったし、行っちゃおうか?』って(笑)」
 山田氏「パリなんて、よく2人で歩き回ったわねえ。(佐藤)信夫先生にも私たちの荷物を持ってもらったりしたよね。信夫先生からは『のこちゃんと山田先生がそろうと最悪』って、今でも言うもの(笑)。『この2人と一緒に試合に行ったら、ろくなことがない』って(笑)」
 城田「私たち3人で試合に行くこと、多かったからね。私も言われたよ。『のこの旦那さんは大変だよねえ』って(笑)。だから同じわがまま娘でも、久美(佐藤信夫氏の妻)ちゃんは、私たちに比べればまだマシだ、なんて思ったんじゃない?」
(2012年7月23日17時50分 スポーツ報知)
なんつー破天荒www
2012年にはわからなかったけど、今なら「へえ~」と唸ったこと。
・連盟で「みどりプロジェクト」がつくられていた。←この後海外コーチ変更のことやらいろいろあったらしい。
・1980~1990はメイド・イン・ジャパンで日本を強くしようという気持ちがあった。←当時は欧米の天下だったからね。。。
・デビッド・ウィルソンを大物にしたのはたぶん山田コーチww
・今でも仲がいい。
・ウィルソンはリンクが混雑しているなか振付をして、ぎゃーっとキレて出て行ったことがあった。
・真央ちゃんのウィキには出てこないけど、ジュニアの初期の頃のプロはデイビッド・ウィルソンの振付と思われる。
・ウィルソンが「ずいずいずっころばし」を振付していた??
・ウィルソンは聞きしに勝る芸術家肌であった・・・。
・2012の時点でウィルソンは「最近日本は呼んでくれない」とぼやいていた。←明らかに真央vsヨナの影響でしょう。
・ウィルソンは樋口先生の才能を認めて、連れて帰りたいとまで言っていた!←初耳!
樋口コーチはカナダからロシアから、いろんな振付師さんからコーチングしてもらっていたんですね。
うむ、しょーま君のプロも、佳奈子ちゃんのプロもいいからなあ。
・佐藤信夫先生は海外では山田先生達の荷物持ちだった。←
羽生君のワールドのことで、オーサーコーチだけでなく、デヴィッド・ウィルソンさんのことまで、ディスっているのをブログさん等でおみかけしたのですが(ハビに味方しているとか、チームハビみたいな?)、こういう昔からのつながりのお話を聞くと、それがいかにとんちんかんで近視眼的な見方か、ということがわかりますな。
そんなタイプじゃないだろう、この人はww
ヨナさんのコーチを断った、という話からもわかりますな。
そして、とても気になったのが
ウィルソン振付の伊藤みどりさんの「ずいずいずっころばし」ってどんなん?(°_°)
で調べてみたら、なんと動画がありました!


[HD] Midori Ito 伊藤みどり – Narayama – 1997 Prince Ice World(Mintaka Alnilam様) (デビッド・ウィルソン振付)
途中でずいずいずっころばしが入ってます!
クラシックなずいずいずっころばし((((;゚Д゚)))))))
ウィルソンの幅広さがここからもうかがえますなwww
うん、このプロいいわ~。
そして、Mintaka Alnilam様の素晴らしい動画群から、関連でこんなものも見つけちゃいました~((((;゚Д゚)))))))

[HD] 八木沼純子 Junko Yaginuma – Scream – 1997 Prince Ice World(Mintaka Alnilam様)
マイケル・ジャクソン&ジャネット・ジャクソンのハイパー名曲をじゅんじゅんGAGA!
羽生君もこういう「スクリーム」のような曲のエキシを見たいな~。

Midori Ito 伊藤 みどり (JPN) – 1996 World Figure Skating Championships, Ladies’ Short Program(3Axel1996様)
「火の鳥」 デヴィッド・ウィルソン振付
これが、ウィルソン初期の頃に振り付けた、伊藤みどりさんの競技プログラム。
復帰した後だったけど、予選はなんと1位通過。
トップスケーターの競技プロはこれが最初だったのかもしれません。
そして、Mintaka Alnilam様の動画の中から探したこちら!
再度挑戦した3A。
しかもプログラム後半に。
女子の中でも、後半に3Aをとんだのは、これが最初で今のところは最後かな?

[HD] Midori Ito 伊藤みどり – 1992 Albertville Olympic – Free Skating(Mintaka Alnilam様)
「ピアノ協奏曲第1番(ラフマニノフ)」
やはり、伊藤みどりさんは最高。
私のフィギュアスケート好きの原点です。
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コメント

  1. より:

    ちいこさん、[打消]オバン[/打消]おぼんでーーーす(・ω・)ノ
    リオ五輪も前半戦終わって日本のメダルラッシュも一段落ですかね。
    このシリーズ好きで読んでました。やっぱりコーチ話って面白いですよね。
    長久保コーチ編とか本田武史をもっと手元に置いて育てたかったのに、スケ連に取り上げられて海外コーチにつけられたこととか、恨み節炸裂で面白かったw(読みました?)
    城田さんがチクチク言われてもケロっと返してるのが人柄出ててましたね。
    ワシは山田、長久保、長光コーチ編が面白かったですな。佐藤コーチは昔話が多かったけど、真央ちゃんソチまでに間に合わせる。(釘さしw)話とかしてたと思う。
    この記事、スポーツ報知ではもう読めませんよね?ネットのいいところはこうやって残してもらえることかもなぁ。あざーす!
    「名選手名監督にあらず」って言葉は何割の監督に通用するのかわかりませんが、山田満知子コーチには当てはまると思いますわ。
    この人持ってると思うし、選手のいい所を引き出す能力がズバ抜けてますよね。選手だけでなく樋口さんとかコーチングスタッフ育てるのも上手い人なのかも。売れてない頃のウィルソンを使うとか目利きなんだなーと思いました。
    ちなみに佐藤信夫コーチは、スケートのいい先生で人格者?だとは思うけど、名将だと思ったことないんだよね。持ってないし、戦略も疑問だし、選手の心理掌握術に長けてるタイプでもないしな。真央ちゃんがこの人についた時からオワタヨオワタ…と思ってました。(…信夫サゲはこの辺でやめときますね(。・ ω<)ゞてへぺろ♡)
    デビット・ウィルソンのことを城田さんは他でも天才肌の振付師って言ってましたけど、身近で見てるとそういうのってよくわかるんでしょうな。
    ゆづが栗家に行ってデビット・ウィルソンと作ったフリーの2作はワシの中ではイマひとつだったんですが(ちいこさんが好きになったロミジュリにはめんごなんだが…)、それより翌シーズンからウィルソンがゆづの振付から抜けたことの方がワシはショーーーック!でしたわ。やはり栗家といえばウィルソン振付が代名詞だったからのぅ…
    ワシはウィルソンが「ゆづはアタシが育てなくてもダイジョウブね」って思われたのかなーと思って残念でしたね。結局、ゆづの振付師からウィルソンを下ろしたのって、オーサーも二人の相性がイマイチだと思ってたからじゃないのかなーと。
    あ、また長くなってめんご!ずいずいずっころばしーwの動画ありがとうござる!www

  2. ちいこ より:

    > ちいこさん、[打消]オバン[/打消]おぼんでーーーす(・ω・)ノ
    > リオ五輪も前半戦終わって日本のメダルラッシュも一段落ですかね。
    もう1~2日で終わってしまう時期にお返事してめんごだお!
    ラスボス百合子が気になる今日この頃です。
    >
    > このシリーズ好きで読んでました。やっぱりコーチ話って面白いですよね。
    > 長久保コーチ編とか本田武史をもっと手元に置いて育てたかったのに、スケ連に取り上げられて海外コーチにつけられたこととか、恨み節炸裂で面白かったw(読みました?)
    > 城田さんがチクチク言われてもケロっと返してるのが人柄出ててましたね。
    少し読みました!オモシロかった~。
    こちらもツッコミや場合によっては動画をつけて堪能したい。
    城田さんって、思ったことをぱっと言って、言われた方はずっと覚えていそうww
    >
    > ワシは山田、長久保、長光コーチ編が面白かったですな。佐藤コーチは昔話が多かったけど、真央ちゃんソチまでに間に合わせる。(釘さしw)話とかしてたと思う。
    > この記事、スポーツ報知ではもう読めませんよね?ネットのいいところはこうやって残してもらえることかもなぁ。あざーす!
    佐藤コーチのお話を結構つっこんで話してましたなww
    ネットは残るところがいいですよね~他にこういう記事があったら、リンクだけでなく、コピペで残そうと思いましたYO。
    >
    > 「名選手名監督にあらず」って言葉は何割の監督に通用するのかわかりませんが、山田満知子コーチには当てはまると思いますわ。
    > この人持ってると思うし、選手のいい所を引き出す能力がズバ抜けてますよね。選手だけでなく樋口さんとかコーチングスタッフ育てるのも上手い人なのかも。売れてない頃のウィルソンを使うとか目利きなんだなーと思いました。
    コーチングが上手くて、人間力・包容力に溢れているんだろうな~と思うわ~。
    ウィルソンに気付いた慧眼も、さすがです。
    >
    > ちなみに佐藤信夫コーチは、スケートのいい先生で人格者?だとは思うけど、名将だと思ったことないんだよね。持ってないし、戦略も疑問だし、選手の心理掌握術に長けてるタイプでもないしな。真央ちゃんがこの人についた時からオワタヨオワタ…と思ってました。(…信夫サゲはこの辺でやめときますね(。・ ω<)ゞてへぺろ♡)
    キター!
    うん、まあ、佐藤信夫コーチは練習方法がオールドスタイルなんだろな~とオモタよ。
    濱田組が色んな専門家、パソコンなども駆使して練習しているのと違うよな。。。と思っている。
    あと、ジャンプもな。。。スケーティングの名手ではあるけど、ジャンプが上手い選手を育成しているって感じではないからの。。。
    信夫下げはこのあたりにしときましゅ!
    >
    > デビット・ウィルソンのことを城田さんは他でも天才肌の振付師って言ってましたけど、身近で見てるとそういうのってよくわかるんでしょうな。
    > ゆづが栗家に行ってデビット・ウィルソンと作ったフリーの2作はワシの中ではイマひとつだったんですが(ちいこさんが好きになったロミジュリにはめんごなんだが…)、それより翌シーズンからウィルソンがゆづの振付から抜けたことの方がワシはショーーーック!でしたわ。やはり栗家といえばウィルソン振付が代名詞だったからのぅ…
    ロミジュリは好きなんだけど、ダムパリは微妙だし、ななみ先生のプロと比べてぴったりかと言われると、正直うーん、なんだよね汗。
    確かに、ウィルソンが抜けたことはショックでしたわ!
    なぜ?合わないから?とかな~。
    >
    > ワシはウィルソンが「ゆづはアタシが育てなくてもダイジョウブね」って思われたのかなーと思って残念でしたね。結局、ゆづの振付師からウィルソンを下ろしたのって、オーサーも二人の相性がイマイチだと思ってたからじゃないのかなーと。
    うむうむ、オーサーもそう思ったのかもな~気まぐれな芸術家肌と「勝つ勝つ勝つ!」な合理的な天才男。。。
    勝つ勝つ勝つの方がトップに立つと思うのだけど、天才肌の芸術家は「あんたはもっとできるのになんでやんないのよ!」と思っていたかもしれぬ。どっちも天才だから譲れない部分はあるかもしれぬ。

    ワシの勝手な妄想だお。
    >
    > あ、また長くなってめんご!ずいずいずっころばしーwの動画ありがとうござる!www
    動画の森に迷い込んだあるよ!

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