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僕は自分で見たことしか信じない。

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「僕は自分で見たことしか信じない。」

プロサッカー選手の内田選手の本の題名ですが、けだし名言だと思う。読んだことないけどww

時々読む、「Huffpost Jpan」に載っていた、東京大学教養学部の式辞が深いと話題になっていたので、シェアします。

時にドロドロになる、フィギュアスケートのファン界隈に溢れるマスコミ、ネット情報にも通じる話だと思うの。

○東京大学教養学部式辞 学部長 石井洋二郎氏

~一部抜粋~

…さて、そこで何が言いたいかと申しますと、まず、皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方がいいということです。そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
 情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。
 しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。

 今朝の本郷での卒業式では、学生代表の文学部の学生さんが、答辞の中でたいへんいいことを言っておられました。私も今朝初めて聞いたばかりですから正確には再現できませんが、おおざっぱに要約すれば、「どんな言葉にも名前が記されている。たとえ匿名の言葉であっても、それを発した人間の名前は刻印されている。しかしそれで自己規制したり沈黙したりしてはならない。私たちは自分の名前において言葉を語らなければならない」といった趣旨であったと思います。
まことにその通りで、これから皆さんが語る言葉には、常に名前が刻まれています。それは皆さんが普段名乗っているいわゆる「名前」だけでなく、東京大学という名前であり、教養学部という名前でもあります。ですから皆さんは、今後どのような道に進むにせよ、研究においても仕事においても、けっして他者の言葉をただ受動的に反復するのではなく、健全な批判精神を働かせながらあらゆる情報を疑い、検証し、吟味した上で、東京大学教養学部の卒業生としてみずからの名前を堂々と名乗り、自分だけの言葉を語っていただきたいと思います。

…きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!
皆さんも、自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見してください。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。私くらいの年齢になると、炎に身を投じればそのまま灰になって終わりですが、皆さんはまだまだ何度も生まれ変われるはずです。これからどのような道に進むにしても、どうぞ常に自分を燃やし続け、新しい自分と出会い続けてください。…

 羽生君の演技に対しての批判記事への反応、過去のバッシング(現在も?)のお話など。

 
 本当に羽生選手に限った話なのか?

 よく言われる話で疑問なのが、羽生選手のファンは他選手のアンチにならないのか?

 なにをもってそう言えるのか?
 
 羽生選手が素晴らしい人柄だとファンもそうなるの?本当にそうなの?

 
 …実は、世界選手権の男子フリーでは、羽生君の直前に滑った、素晴らしかったテン君の演技に拍手すらしない方も多くいました。ちょっとびっくりしました。
 
 羽生君の調子がいい時はいいかもしれないけど、ケガをしたり、不調だったりすると、ムクムクと不安という名の雲が覆い尽くすのでしょうか。

 アンチは、不安の塊のような存在だと思う。

 応援する選手を信じず、他選手を信じず、何より自分自身を信じていないのだろう。

 それは、何より応援する側の問題だと思う。

 そして、それは、羽生君のファンも含め、どの選手のファンも、客観的な目、批評精神が少なくなっていけば、起こりうることなのだと思う。

 東大の式辞を読んで、そう思ったのだった。

 一番いいのはネットをやりすぎないことだにゃ~wwネットから遮断された上海で思ったわ~。

 

 …どんどん男子フリーのレポから遠ざかる~汗。

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