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感情の獣とエレガンス。

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今朝、とっても興味深いインタビュー記事の翻訳を読みました。
ブログ「あれこれ」さんから、ロシアの記事でパパシゼのコーチであるロマン・アグノエルさんのインタビューです。
ただし、原文はドイツ語でドイツ語→ロシア語→日本語へ翻訳されているので、少しづつニュアンスが違っているかも。
2017/01/09 ロマン・アグノエル「コスチュームを着て登場人物を演じるのは容易だが、パパダキスとシゼロンはストーリーではなく、感情を見せたいのだ」
ふむふむ。。。と思ったのは、やはり、パパシゼは今季は非常に強いプレッシャーの中で滑っているということ。
NHK杯での緊張ぶりはやはりそうだった。
昨季までは圧倒的優位にいた自分達が、僅差で負けるかもしれない相手が突然出てきた今季。
パパシゼも勝ちたいのだね。。。ワールドとオリンピックで金メダルを獲りたいのだ。
だから、プレッシャーなのだ。
ワタス、今までパパシゼのこと、アートを追求していて、それが達成できれば満足なカップルかと思っていたのだ。
ギョームとガブ様のインタビューを読んだ時も、今季はアートを追求していることを強調していたように感じていましたが、もしかしたら彼らも怖かったのかもしれない。
これは批判ではなく、てっきり純粋なアート追求型カップルなのかと思っていました。
違うんだね、アートを追求していても、技術とアート両面で評価されて、やはり勝ちたいのだ。
金メダルを獲りたいのだ、オリンピックで。
そして、パパシゼは恐らく、金メダルを獲ることで、自分達が追求するアイスダンスの方向性に太鼓判を押してもらいたいのだと思います。
かつてのジョン・カリーのように。
彼らが目標とする繊細で深淵な世界を描くアイスダンスへの評価には、勝利が、金メダルが必要なんです。
あああ。。。。オリンピック金メダルの重みを感じます~。
あと、心に残ったのはこの部分。
—彼らのダンスはとても美しいけれどもストーリーを語っていない、とも言われていますが・・・
「ダンスはストーリーを語ることが出来るが、しかし、僕とガブリエラやギヨームは、もっと深い仕事をしている。僕たちは、情緒や感情のレベルで仕事をしている。もしかしたら、人々はこのアイディアを理解していないのかもしれない。
二人の芸術性のレベルは非常に高く、それに追いつくのは非常に困難だと思う。何らかのコスチュームを着て、明確な登場人物を演じるのは容易だけれども、僕たちはそれをしたくない。
彼らは自分たち自身のままでいて、そこで深い感情を表現したいのだ。これは、昨年彼らに成功をもたらした。そして、もし彼らが技術的観点でクリーンに滑るなら、今年も同様になると思っている」。

えええ。。。。やっぱりというか、こういうことを言われていたのか~どこかで聞いたような評価ww
ワタス、かねてより
「パパシゼはストーリーものは得意ではなさそう。」
と言っていて、また、
「羽生君に似ている」
とも感じていたのですが、アグノエルさんのこのインタビューですっきり!
そう、パパシゼも羽生君も真骨頂は、深い感情表現。
ストーリーではなく、感情を滑りで表現し、会場の空間を広げていくことができる能力があること。
これができるのは、本当に一握りのスケーターしかいないと思う。
氷に己の全てを委ねることができるスケーターのみが可能なのだ。
そして,感情表現が人の心を動かすのは、予定調和を突き崩すからだと思うのだ。
観客はみな、「この選手はこうだろう」「このエレメンツは苦手だから、、、」など、予定調和を予想して見ていると思うのだ。
それは「神の視点」というのですが、
羽生君も、パパシゼも、予定調和を、熱く、深く、荒々しく、繊細な感情で見ている人を巻き込み崩していくのだ。
エレガントでありながら、時折見せる感情の獣との対比にトリコになるのである。
獣によってエレガントな予定調和が崩されるエクスタシー。
日常生活ではなかなか味わうことはないですよね?
だからこそ、みんな夢中になってしまうのだと思う。
羽生君の場合、その最たるものがニースのロミオとジュリエットだったわけですが、
あれをもう一度と願い、羽生君をずっと見続けている方の気持ちがわかるなあ。。。。彼にとってはもしかしたら負担になっているかもですが。
このことを東洋経済の記者さんが記事にされていて面白かったのでリンクをはります。
羽生結弦の魅力は「獣」に変わる瞬間にある フィギュアスケートが与える深い印象と驚き(東洋経済オンライン)
阿部 健吾 :日刊スポーツ新聞社記者 2015年11月27日
PS:磯崎大介君がデカのエキシを振付したとな??これはとっても楽しみ~♪四大陸選手権で披露できるよう、ぜひ頑張ろう♪
磯崎君は、日本では珍しいといってもいい、オシャレで小粋なセンスを持った振付師さんになると思うんですよ。。。ロビン・カズンズのような(磯崎君はカズンズファン)。楽しみです~応援しています!
ではでは~。

羽生結弦+α
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コメント

  1. KAO より:

    興味深すぎる、素晴らしい‥ふむふむ‥半分は理解出来たような。。。出来たのか?ワシ。
    いろんなスケーターさんの演技を見てるわけではないので例は出せないんですが、フィギュアでやれ芸術性や表現云々というのは話半分以下で聞いてます。
    なぜなら、そもそもアートやりたい人はスポーツやってないもん。乱暴な言い方ですが。
    あくまでスポーツやってて、その瞬間が『たまたま芸術的だった』とも言えるのでは。格闘技だって美しい決め技の瞬間ってありますもんね。
    東洋経済の記事、初めて拝読したけど、これまた分析が素晴らしく深い。
    いつの記事かと思えば一昨年11月ですか。個人的に毎年一番多忙な時期なので、テレビ見るので精一杯なんですよね、シクシク。。紹介ありがとうございます。
    なるほどなー、予定調和を崩されるから感情を揺さぶれるのかもしれませんね。
    予定調和‥うん、世の中で一番つまんないヤツはそれだ!!
    ぶっ壊して構築する、まさにアートじゃないですか(膝打ち)!

  2. より:

    ワシの考えはちょっとズレているかもなぁ。。。
    パパシゼのエモーションとゆづのエモーションの違いを感じるから、同じように感じないのかも。
    前者(パパシゼ)は意図的で後者(ゆづ)は意図的でない。という違いを感じるからなのかもなぁ。
    ゆづのエモーションは「本人の地、本性」があらわになった所に、観客が引き込まれてるのではないかな。こういうのはコントロール不可能で、本人にも制御できません。
    ニースのロミジュリはまさに、こういうコントロール不可能なゆづの本性が表出したものに、ロミオの若く荒々しく運命に逆らって闘う様が、観客にはシンクロして観えたんだと思う。
    ああいう演技は本人のコントロール下にないので、再現することはできないだろうなと。
    いろんな状況が重なってできあがった奇跡的な瞬間だったんだろうなぁと。
    対するパパシゼは、自分たち自身のままでいてとは言いながら意図的に感情や情緒的なものを見せようとしているのではないかな。
    これはもちろん波はありますが、ある程度再現可能だと思う。なぜなら意図して作っているものだから。
    えーと、ゆづも、この意図的に感情表現を見せようというのはやってきているわけですが、観客がゆづのエモーションに飲み込まれている時は、大概、本人がコントロールして出している時でないような気がします…(汗)
    なんかこう考えると、、、ゆづってやっぱり異色なんだよなぁ。フィギュア界のゴジラやねwww
    うん、しかしながら、パパシゼもゆづも、どちらも人を夢中にさせるものを持ってますね。
    あとですね、ワシ、テサモエが復帰してきて、しかもパパシゼと同じコーチ陣ということで、このロマン・アグノエルさんがどう思ってるのか非常に興味があったんですよねw
    だって、パパシゼはロマンコーチが拠点をフランスからモントリオールに移したにもかかわらず一緒に連れてきた、いわば愛弟子じゃないですか。
    テサモエとパパシゼのキスクラにいる時に、ついこのコーチの顔見てしまうんですよw
    このインタ読んで、やっぱりパパシゼの方がかわいいよね。そりゃそうだ!と思いました。
    パパシゼとロマンの創造する世界の完成版観てみたいですね。そして、こういうインタを翻訳してくれる人がいて本当にありがたい!と思いますた。

  3. りんご より:

    近ごろ、フィギュアの表現ってことをちょっと考えてて、羽生くんとかパパシゼの演技って純文学みたいだな、って思い始めたとこでした。
    純文学って、物語としてのおもしろさとか良さが分かりにくい。でも、言葉とか人間の本質について深く考えていないと書けないんですよね。
    ただ、大衆文学の方が、分かりやすくて楽しめたりするんだなぁ。大衆文学を書こうと思ってる人の方が多いし。
    なんて、文学に置き換えて、勝手に妄想してました。
    そんな折、アグノエルさんの記事でふむふむ勝手に納得。ありがとうございます。
    何だか宇野くんは表現が素晴らしく、羽生くんは…みたいな記事とか意見をみると違和感あったんですよね。別に羽生が一番!ってわけじゃなく、目指す表現方法が違うのかなー、と思って。普通はストーリーを演じる方が簡単というか、とっかかりやすいと思うんだけど、羽生くんはそうじゃないんですよね。その辺りも個性的なのでしょう。

  4. ちいこ より:

    > 興味深すぎる、素晴らしい‥ふむふむ‥半分は理解出来たような。。。出来たのか?ワシ。
    書いたワタスもあまりわかっとらんかもw
    >
    > いろんなスケーターさんの演技を見てるわけではないので例は出せないんですが、フィギュアでやれ芸術性や表現云々というのは話半分以下で聞いてます。
    > なぜなら、そもそもアートやりたい人はスポーツやってないもん。乱暴な言い方ですが。
    な、なるほろ。。。大ちゃんもランビ様も実はとんでもない負けず嫌いだったりするからのお。
    >
    > あくまでスポーツやってて、その瞬間が『たまたま芸術的だった』とも言えるのでは。格闘技だって美しい決め技の瞬間ってありますもんね。
    たぶん、だからこそ感動するんだろうな。
    瞬間が持続して予想を裏切る美しさが見えた時、芸術的だと思うのかも。
    >
    > 東洋経済の記事、初めて拝読したけど、これまた分析が素晴らしく深い。
    > いつの記事かと思えば一昨年11月ですか。個人的に毎年一番多忙な時期なので、テレビ見るので精一杯なんですよね、シクシク。。紹介ありがとうございます。
    いえいえ〜ワタスも最近この記事をネットで見かけて膝を打ちましたよ!
    >
    > なるほどなー、予定調和を崩されるから感情を揺さぶれるのかもしれませんね。
    > 予定調和‥うん、世の中で一番つまんないヤツはそれだ!!
    >
    > ぶっ壊して構築する、まさにアートじゃないですか(膝打ち)!
    中国杯や2015GPFはまさにデストロイヤーでしたな。
    あれが到達点ではなく、既成概念をぶっ壊して新しい道を進みはじめるという。
    羽生君の生き様はアートだなっ!と。
    見る人の予想を軽く超えていくという。。。だから夢中になっちゃうんだなっ!

  5. ちいこ より:

    > ワシの考えはちょっとズレているかもなぁ。。。
    > パパシゼのエモーションとゆづのエモーションの違いを感じるから、同じように感じないのかも。
    > 前者(パパシゼ)は意図的で後者(ゆづ)は意図的でない。という違いを感じるからなのかもなぁ。
    あ、ワシもそう感じてる。。。(^^;;
    パパシゼと羽生くんは同じエモーション系だけど、再現できる人達、パパシゼと一期一会なはぬー牛。
    >
    > ゆづのエモーションは「本人の地、本性」があらわになった所に、観客が引き込まれてるのではないかな。こういうのはコントロール不可能で、本人にも制御できません。
    魂が剥き出しなんだよな、だから巻き込まれるんだな。
    > ニースのロミジュリはまさに、こういうコントロール不可能なゆづの本性が表出したものに、ロミオの若く荒々しく運命に逆らって闘う様が、観客にはシンクロして観えたんだと思う。
    >
    > ああいう演技は本人のコントロール下にないので、再現することはできないだろうなと。
    > いろんな状況が重なってできあがった奇跡的な瞬間だったんだろうなぁと。
    さいたまワールドのエキシで滑ったけど、やはりあのプロはニースで完結していたんだなと感じた。
    ニースは奇跡だよなあ、転倒も含め。
    >
    > 対するパパシゼは、自分たち自身のままでいてとは言いながら意図的に感情や情緒的なものを見せようとしているのではないかな。
    > これはもちろん波はありますが、ある程度再現可能だと思う。なぜなら意図して作っているものだから。
    うんうん。
    >
    > えーと、ゆづも、この意図的に感情表現を見せようというのはやってきているわけですが、観客がゆづのエモーションに飲み込まれている時は、大概、本人がコントロールして出している時でないような気がします…(汗)
    > なんかこう考えると、、、ゆづってやっぱり異色なんだよなぁ。フィギュア界のゴジラやねwww
    ゴジラww
    まさに、のっしのっしとなぎ倒していくという。
    代々木の国別パリ散歩はまさにそうだったわあ。
    >
    > うん、しかしながら、パパシゼもゆづも、どちらも人を夢中にさせるものを持ってますね。
    浮世離れしているところもなあ。
    >
    > あとですね、ワシ、テサモエが復帰してきて、しかもパパシゼと同じコーチ陣ということで、このロマン・アグノエルさんがどう思ってるのか非常に興味があったんですよねw
    > だって、パパシゼはロマンコーチが拠点をフランスからモントリオールに移したにもかかわらず一緒に連れてきた、いわば愛弟子じゃないですか。
    >
    > テサモエとパパシゼのキスクラにいる時に、ついこのコーチの顔見てしまうんですよw
    > このインタ読んで、やっぱりパパシゼの方がかわいいよね。そりゃそうだ!と思いました。
    おまおれ!
    ワタスも様子をまじまじ見てしまった〜‼️
    そうだよねえ、秘蔵っ子であり、アグノエルさんの美意識を具現化してくれる夢のスケーターなんだろうな。
    > パパシゼとロマンの創造する世界の完成版観てみたいですね。そして、こういうインタを翻訳してくれる人がいて本当にありがたい!と思いますた。
    何を言われても貫き通してほしいですね!
    ファンなので〜そういやこの二人ははにゅ君とほぼ同じ年なんだよなあ。
    あと、今季SDのテーマはパパシゼは苦手なのも大きいかなあとおもふ。

  6. ちいこ より:

    > 近ごろ、フィギュアの表現ってことをちょっと考えてて、羽生くんとかパパシゼの演技って純文学みたいだな、って思い始めたとこでした。
    確かに〜なるほど、膝を打ちました!
    >
    > 純文学って、物語としてのおもしろさとか良さが分かりにくい。でも、言葉とか人間の本質について深く考えていないと書けないんですよね。
    > ただ、大衆文学の方が、分かりやすくて楽しめたりするんだなぁ。大衆文学を書こうと思ってる人の方が多いし。
    > なんて、文学に置き換えて、勝手に妄想してました。
    > そんな折、アグノエルさんの記事でふむふむ勝手に納得。ありがとうございます。
    羽生くんのは物語や人物は語ってませんからな。。。本人のビジュアルもあってうっとりするけど、心底はなかなかわかりにくいのかも?
    >
    > 何だか宇野くんは表現が素晴らしく、羽生くんは…みたいな記事とか意見をみると違和感あったんですよね。別に羽生が一番!ってわけじゃなく、目指す表現方法が違うのかなー、と思って。普通はストーリーを演じる方が簡単というか、とっかかりやすいと思うんだけど、羽生くんはそうじゃないんですよね。その辺りも個性的なのでしょう。
    個性的ですよね、リリカルで大正時代の童話や詩のよう。
    羽生くんの演技は物語、小説というより詩に近いのかも。
    しょーま君のは、どちらかというと最後までバテずに演技をやりきってしまうのが印象がいいではないかと思いますなあ。
    最後までドヤアと滑るのと、尻すぼみになるのとでは印象ががが。
    ワタス、アンチじゃないあるよ!
    ま、羽生くんのはそれだけ繋ぎが濃くて超高難度なんですが、スケートはエンターテインメント!なバンクーバー時代大好き層は繋ぎとかどうでも良さそうw

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