◆W杯小ネタ◆3点目のFKを決めた直後のクリロナさんが4回転しそうなくらい高く飛んでいると話題に![まとめ] https://t.co/bejhXPpcdM pic.twitter.com/gJJrT8PhmY
— DIGITAL-SOCCER.NET (@digital_soccer) 2018年6月15日
さすがクリロナ!というか、
普通に「4回転」という小ネタが入るところに、日本でのフィギュアスケート人気を物語っているようで嬉しいな(*´∀`人 ♪
おおおおお!超遅ですがウィルソンさんのインスタに羽生君と清塚さんとウィルソンさんが。
「春よ、こい。」は本当に羽生君の技術と感性を結晶のように閉じ込めたプログラムだなあ。
ウィルソンさん独特の、キラキラ光るような純粋な世界観のあるプログラムと羽生君の研ぎ澄まされた技術と感性がマッチして素晴らしいマリアージュ。
今の羽生君でダムパリや新ロミジュリを見てみたいですなあ。
WFSかアイスジュエルズあたりはウィルソンさんやオーサーコーチのインタビューをきっとしていますよね。
こちらも楽しみ~以前は7月末の雑誌に掲載されていましたな。
神戸でのバックステージ!ウィルソンさんご機嫌ですな。(地震があったから、僕たち元気だよ、というのもあるのかもね。。。)
あと、貼りませんけれども、ウィルソンさんのインスタに紀平莉花ちゃんのお姿が!
新FSも素晴らしかったですが、新SPはウィルソンさんでしょうか?
こちらもめっちゃ楽しみにしています♪
ご質問が多いのでお答え致します。
今回の羽生結弦せんしゅとのコラボ曲の「春よ、来い」は今回の特別アレンジでお届けしております。
なので、音源など、世の中には今は一切ございません。
ゆづちゃんと、製作段階から直しに直しつつ、本番の二人のパフォーマンスを考慮し、作り上げたものです。— 清塚信也 (@ShinyaKiyozuka) 2018年6月21日
ゆ、ゆづちゃん。。。。。??
実はFAOI神戸の録画はまだよく見ていません。
なんだか録画で見ると、あの薄紅色の光の集合体のようだった羽生君の『春よ、こい』の印象が変わってしまいそうで。
特に最後の地を這うようなハイドロの場面では
清塚さんの力強いピアノの音も相まって
まるでかつて戦争で亡くなった名も無き人達を弔っている千鳥ヶ淵で見た、
満開の桜の花びらが舞い散り、お堀は一面の花筏だった、あの桜吹雪のようでした。
きっと、清塚さんとの一期一会のコラボレーションもあって、永遠と一瞬が邂逅したかのような。。。。
命の重みというか、輝きといいますか。
うん、羽生君を見ていると、立原道造や中原中也、谷川俊太郎のような大正時代から昭和に活躍した、
少し青いような詩人達の詩が目の前をよぎっていくんだなあ。
小説ではなく、詩なんだなあ、何故か。
神戸では他に一番嬉しかったのが,実はミキティのバンクーバーシーズンのFS、「クレオパトラ」でした。
あれを超久々に初めて生でみることができて感無量でした。
うん、バンクーバーの女子は色々あったんですけど質、量とも良かったんですよね。。。
今のようにトランジションに追いまくられていない頃のちょうど良い塩梅だった頃のプロですね。
うう、神戸の感想書けるかしら汗。
仕事をしていなければ書けますが、していないと遠征に行けないジレンマ。
また、長野オリンピック記念アイスショーに出演したストイコさんのインタビューも素晴らしかった。
羽生君への温かいエールに涙。。。
田村さんはなんだかんだ言って素晴らしいジャーナリストだと思いますがなあ。
○元祖“4回転王”エルビス・ストイコが、羽生結弦へ貴重なアドバイス。posted2018/06/19 (Number)
6月8日から10日まで、長野オリンピック・パラリンピック20周年を記念して長野のビッグハットで行われたアイスショー「ヒーローズ&フューチャー」。そこに出演した長野オリンピック銀メダリスト、カナダのエルビス・ストイコが独占インタビューに応じた。
1994年リレハンメルと1998年長野で2度のオリンピック銀メダルを手にしたストイコは、4回転トウループを安定した武器として跳ぶことができた最初の選手である。史上初の4+3トウループコンビネーションを試合で成功させた、元祖「4回転王」だった。
1994年、1995年、1997年と3度世界タイトルを手にし、優勝候補として挑んだ長野オリンピックだったが、内転筋の負傷により得意の4回転を見せることができず、銀メダルに終わった。
20年後にようやく完成された輪。
ストイコは、長野オリンピックを振り返ってこう語る。
「自分の人生を1998年以前と1998年以降、というように区切って考えているんです。長野オリンピックでは金メダルを取りたいと願ってきたけれど、怪我のためベストな演技ができなかった。
あの大会ではエキジビションに出ることもできなかったので、こうして20年後に戻ってきてアイスショーに出してもらったことで、ようやく書きかけにしたままだった輪を完成させることができた、という気持ちです」
長野オリンピックでは、フリー演技後苦痛に顔をゆがめ、表彰式にはスニーカーに履き替えて臨んだ。今回ショーの行われたビッグハットはオリンピックのホッケー会場だったので、会場こそ違うものの、こうして20年後に長野で演技ができたことで心の区切りがついたのだという。
「この時代が来ることは予想していた」
ストイコは2002年ソルトレイクシティオリンピックで8位に終わった後、競技を引退。アイスショーなどで活動していたが、しばらくスケート活動を中止していた。
「’98年に怪我をしてからも自分をプッシュし続けてきて、あるとき自分の中で何かが壊れてしまった。それを癒すのに、とても時間がかかりました」
現在はプロ活動を再開し、カナダ「スターズオンアイス」などに出演するほか、北米各地でセミナーなどの指導にあたっている。
ストイコが競技引退してから16年。数種類の4回転が試合で跳ばれるようになった現在の男子をどう見ているのか。
「どんなスポーツでも進化して行くもので、特に男子はもっともっと難しいジャンプを、という方向へきたのは自然なこと。ぼくも練習では全ての種類の4回転を試していたので、今のような時代が来ることは予想していました」
今の4回転ジャンパーは体重が極端に軽い。
格闘技のマーシャルアーツでカナダチャンピオンになったこともあるストイコは、身長170センチでがっしりした筋肉質のパワースケーターだった。だが現在の4回転ジャンパーのほとんどは、羽生結弦やネイサン・チェンのように細身である。これはフィギュアスケートの適性体型が、変化していったせいだとストイコは語る。
「ぼくのような体型で4回転を跳んでいた最後のスケーターはエフゲニー・プルシェンコだったと思う。(アレクセイ・)ヤグディンはぼくと似た体型でしたが、彼も競技生活の後半にはかなり体重を落とした。このスポーツがその方向に行っているのは明らかでした。ぼくの今の体重は現役時代とあまり変わらず158ポンド(約71.7キロ)ですが、ユヅルは118ポンド(約53.5キロ)くらいでしょう。
もしぼくが今の選手たちと戦っていくとしたら、30ポンド(約13.6キロ)は体重を減らさなくてはならないことになる。でもいくらしぼっても8ポンド(3.6キロ)程度が限界で、とてもそんなに軽くはなれません」と苦笑する。
5回転ジャンプもいつかは実現するだろう。
パワースケーターが4回転を跳んでいた当時と今では、ジャンプ技術が変わったのか。
「基本的には、技術が変わったというわけではありません。必要とされるのはタイミングと、身体を絞める瞬発力。ただ体重が軽いと、ジャンプがより高く上がり滞空時間が長くなる分、有利なわけです」
だがその一方で、着氷時の衝撃が身体に与える負担への懸念もある。
「自分はこういうがっしり体型だったので、繰り返されるジャンプの着氷の衝撃に耐えることができた。ぼくは現在46歳ですが、まだ滑り続けていられることは恵まれていると思う。今のトップ選手たちは何歳まで滑り続けることができるのか、そのときが来てみないとわかりません」
ストイコ自身練習でトライしてみたこともあるという、5回転ジャンプが実現する日は来るのだろうか。
「いつかは可能でしょう。でもそれには、道具がもっと進化しなくては。靴をもっと軽量にすることができれば、可能だと思います。3アクセルだって、4回転だってかつては不可能だと思われていた技ですから」
だがおそらくその身体にかかる負担によって、選手生命は今より短くなるだろうとストイコは懸念する。
予想通りだった……平昌オリンピックの予想。
平昌オリンピックは、現地ではなく妻と自宅のテレビで観戦した。ストイコは解説者として現地観戦した2014年ソチオリンピックでは、公式練習を見て羽生結弦の優勝をいち早く予言していた。平昌オリンピックは、どう予想したのか。
「妻のグラディスに、怪我は逆に祝福になることもある、と言ったんです。もちろん本番で滑れるほどに回復したらの話ですが、怪我のために自分の身体のことに集中するため、プレッシャーなど周りのことが気にならなくなるんです。ユヅルは元々4ルッツは必要ではなかったし、あれを取り除いたのは正しい判断だった。彼は最後まで優勝候補としてはずせない、と思っていました」
またネイサン・チェンのことも予想通りだったという。
「彼はショートで大失敗をして、フリーで上がって来るだろうと思っていました。いくら才能があっても、彼のような若者が初挑戦のオリンピックであれほど社会から期待されて負担にならないわけはない。大会前にナム・グエンにそう言ったら、後で『どうしてわかったんだ!』と驚愕していました」と笑う。
「自分で多くの大会を経験してきたので、予想は大体当たります。6分間ウォームアップの選手の動作、表情を見ていると大体何を考えているのかわかるんです」
スター選手だったから言える羽生へのアドバイス。
2度のオリンピック金メダルを手にしながら、まだ現役生活を続けていくと宣言した羽生に対して、アドバイスはあるかと聞いてみた。
「ユヅルはすでにやるべきことは成し遂げ、2度オリンピックの金メダルをとった。でもまだ年齢的にも、競技を続けていける歳ですね。
大事なことは自分の目標を定めて、それに向うモチベーションが本当にあるのか見極めること。そして国や周りからの期待など、いろいろプレッシャーはあると思うけど、自分の気持ちを最優先にすることです」
自分の気持ちを見極めるのは簡単ではない、とストイコは自らの体験を元に語る。
「選手にとって、日々トレーニングをする生活がノーマルになっているので、それを変える決意をするのは結構難しいことです。でも、惰性で続けてはいけないと思う。
周りからロックスターのように扱われる今の生活は、存分に楽しんで欲しい。でもいずれそういったものは、消えていきます。
残るのは自分自身。
だから自分にとって大切なものを見極めて、自分で本当にやりたいことを決めて欲しいと思うんです」
ストイコ自身、スケート以外にマーシャルアーツ、カートレース、そして俳優業などやりたいことを次々と実行していった。
「でもスケートは、ぼくの演技を見たいというファンがいてくれる限り、続けていこうと思っています」そう言葉を結び、元祖4回転王は笑顔を見せた。
昨日の記事でリンクを貼った絵子ちゃんのブログにも書いてありましたが、ピョンチャン前の欧米の論調。。。それは酷かったです。
本当に終わった選手、勝てるはずない、みたいな論調で、表彰台予想も銅メダルにさえ上げていない記者さんばかり。
そんな中羽生君が優勝候補だと言っていたのは、アメリカのIFSマガジンとフィリップ・ハーシュ記者とストイコさんとプル様くらいでした。。。。。当時はブログには書きませんでしたが、それも憂鬱の種だったなあ。
予想が大ハズレになって、ざまああああああ!
うんでも、預言者ストイコさんとプル様が信じていたので、大丈夫だとなんとなく思っていました。
そういえば荒川さんも当てていたなあ、あとネイサン君の公式練習を見て「緊張が演技に影響してしまうタイプ」と語っていて、一時ネットでは(主に羽生君アンチ界隈ですが)物議をかもしていたのですが(そもそも日本人レジェンドが日本人スケーターの助けになるようなことを言ってなぜ物議??わけわかめ)、スバリその通りでしたな!
ストイコさんもしーさまも順風満帆とは言えない競技人生だったので(しーさまは大円満で終えたとはいえ、長野はガッチガチでソルトレイクは代表を逃した)、何よりも表情や様子で一発でわかるのでしょう。
記者さん達とはそこが違う、オリンピック経験者という凄みがある。
羽生君と何を語ったのか気になるな~。
そして、今日には全日本フィギュアスケート選手権大会の開催地の発表があるかも?
6月22日(金)以降にスケート連盟のWEB上で発表するとのことです。
どこになるのかな~ドンミスイット!
○日本スケート連盟HP
それでは、ではでは。
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コメント
ご無沙汰しております。こみかんです。
コメントはご無沙汰ですが、よくお訪ねはしておりました。お忙しい中、いつも素敵なブログをありがとうございます。
>うん、羽生君を見ていると、立原道造や中原中也、谷川俊太郎のような大正時代から昭和に活躍した、少し青いような詩人達の詩が目の前をよぎっていくんだなあ。
小説ではなく、詩なんだなあ、何故か。
感涙です。絵画の例えの時も、そう思ってついコメントしてしまいました。
白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
羽生くんを見てると、若山牧水のこの歌が頭をただよひます…
唯一無二だなぁと。応援できて幸せです。
K様、コメントをありがとうございます。
確かにおっしゃるとおり度々書きすぎてしまいました。
ご指摘ありがとうございます😊