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プリンス殿下。

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今、ネーベルホルンのアイスダンス待ち中ですが(リーザの前にライスト止まった~)、短めにふと思いついたことをば。
この度、羽生君がショートの曲に選んだプリンスの「レッツ・ゴー・クレイジー」。
高校時代に洋楽にはまり、リアルタイムで当時良く聞いていたのは、洋楽ではマイケルやマドンナやニューキッズオンザブロック(高校生の頃同人誌までつくったww)だったけど、プリンスはあまり良く聞いていなかった。
ただ、当時買っていた音楽雑誌が「ロッキン・オン」だったわけですが、
編集長の渋谷さんが確かプリンス好きで、よく
「殿下」
特集や、
「変態ロック」(ねじ曲がった褒め言葉ですよ!)
などというキャッチフレーズとともに特集を組んでいた。
その記事を読む度、謎めいた、とんがった、繊細で時代のニーズを読み、何よりも自分自身に正直で非常にクレバーな方なのだと、思っていた。
結論としては、わけわかんない人ww
「元プリンス」になったり、
それも非常に哲学的な文章で理由が述べられており、素人ではわかりましぇーん!だった。。。。
どうもレッテル貼りをされることを非常に嫌がっていたように思う。
プリンスファンの方のブログが話題になっていますが、
そういえば、あのロッキン・オンはプリンスの突然の死去に対してどのような記事をつくっていたのだろう、と思い
検索、とても面白そうだったので、即注文しました!ww
2016年7月号が、プリンス追悼特集だったのですが、そのサイトがこちらです。 → こちら
(一部抜粋)
そもそもプリンスはインタヴューをしないことで有名で、本当に謎に包まれたアーティストだったが、特集ではプロモーション来日し、日本で初めて行われた貴重な対面インタヴューも再録している。
1996年、60分×3枚組の大作『イマンシペイション』をリリースした時で、レーベルも変わり、マイテと結婚し、転機を迎えた時期だからこそ実現した取材だったのだろう。
当時、RO編集部に在籍していたので、嬉しい驚きと同時に「本当にできるのだろうか?」とかなり緊張した。
インタヴュアーの高見展さんが取材を終えて会社に戻ってきたので、「どうでした?」と聞くと、いつものにこにこした笑顔を険しくひきつらせ、「話しかけないで! 誰も部屋に入らないで!」と叫びながら会議室に飛び込んでいった光景はいまだに忘れられない。
プリンスのインタヴューは録音NGで、自分の言葉をもとにインタヴュアーもクリエイティヴィティーを発揮して記事を作りなさい、という趣旨だったので、つまり一生懸命記憶したプリンスの言葉をワープロ(当時編集部はみんなこれで原稿を書いていた)で再生していたのだが、その真剣かつ異様なテンションは昔話の『鶴のおんがえし』のようだった。

インタビューを受けないミュージシャン。
そう、確か当時も雑誌でたくさんのプリンス特集があったけど、本人のインタビュー記事というのはほとんど無かったと思う。
楽曲とパフォーマンスを見て、歌詞を読み込み、それぞれがイマジネーションを膨らませて思いの丈を書き綴る、そんな記事だったかと思う。
ちょっと思ったのが、時々目にする、選手やアスリートの記事は選手の言葉だけを載せればいい、記者の思いは必要ない、というご意見。
プリンスはミュージシャンではありますが、インタビューをオウム返しにそのまま記事を書くな、あなたのイマジネーションとあなたの言葉を書いてください、という意図だったのだろうと思う。
インタビュアーは言葉の一つ一つを必死に聞いて、忘れないように言葉を体中に刻み込み、それを自分の言葉で吐き出す。
希代のクリエイター・プリンスは自分の創作の魂である作品について、あなたの言葉で語ってほしいと、そう言っていた。
それが思いこみや間違いであってもいいのだ。
自分の言葉で語ること、それこそが彼が望んだことなのだ。と思う。
やっぱり、ワタシもオウム返しのようなインタビュー記事より、変態目線で結構、濃厚で時々勘違いで鋭いインタビュアーの記事が読みたいと思った。
ちなみに、自分のブログを読んでも、ロッキン・オンにはかなり影響を受けているような気がする。。。。(´・Д・)」
それにしても、1月にデヴィッド・ボウイが、4月にプリンスが死去。
ポップミュージックの巨星の死去が続いています、寂しい。
検索している時に見つけたコールド・プレイの「Nothing Compares 2 U」のカバー。
シンニード・オコナーがカバーしたことで有名なプリンス作詞・作曲のこの歌は本当に美しい。
サビを聞いたら「ああ!」と思い出す方も多いと思う。


Nothing Compares 2 U (Live in LA w/ James Corden)
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羽生結弦+α
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コメント

  1. ちいこ より:

    マイケルのスリラーが洋楽の第一歩ですか!
    やはりあの時代、80年代はマイコーかマドンナか、ですよね~。
    AKBより椎名リンゴやケツメイシを口ずさむお子さんとは、センスいいではないですか~♪
    ボーイジョージやワム、アーハとか懐かし~。
    コンピレーションアルバムをアイチューンでダウンロードしようかな。
    私はどちらかというと、1990年代が全盛期で、イギリスのロックにめちゃはまったのです。
    オアシス、ブラー、スウェード、マイブラッディーバレンタインなどなど。
    80年代にも足を突っ込んでいました。
    そのため、ソチ団体戦の羽生君を見た「ザ・スミス」のモリッシーが「東洋の真珠!彼に会いに日本に行こうかな」とツイートしたのを見た時には狂気乱舞しましたww
    あ~ほんと、書いているうちにコンピレーションアルバムをダウンロードしたくなっちゃったww

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