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ケンジの部屋③と別府エキシビションの白鳥さん。

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皆様こんばんは。

やっと衛星放送のアンテナがなおり、Jスポーツでケンジの部屋を見ることができました。

昨日の3回目のトークは、ことのほか内容が濃く、見ている途中でケンジ先生が涙ぐんだり、見ている私も涙が出たりしました。

既出でしょうが、コラムのリンクを貼ります。

KENJIの部屋 羽生結弦エピソード3 前編

KENJIの部屋 羽生結弦エピソード3 後編

中でも、印象的だったのが、

――地震があって、俺なんかが言葉にするようなことじゃないんやけども、それがあったことで何か影響とか自分の心というか思ったことの話をちょっとしてもらえたらなと思って

羽生:あんまりきっかけとかプラスっていう表現は使いたくないんですけれども、そのプラスマイナス関係ない話としてきっかけっていう言葉を使いますけど。震災があったことによって表現しようと思う気持ちっていうのはその上限も下限もかなり広がったなというのもありますし、あとはスケートに対する想いというか、スケートをやっている意味、またスケートのみならず羽生結弦という存在。僕自身が感じている普通の羽生結弦と、スケーターとしての羽生結弦と、被災地代表としての羽生結弦とそれぞれいろんな羽生結弦像があって。じゃあそのどれを信じたらいいんだろうみたいな葛藤もありました。

――それ以降すごい活躍になってきた。で、その時はどういう気持ちで試合に挑んでたかな?

羽生:最初は嫌でした。やっぱり被災地代表じゃないけれども、もちろん津波の被害もあるし原発の被害もあって、その中で「自分はただ好きでスケートやってきたのに、なんでこういうものを背負わされなきゃいけないんだろう?」という気持ちもあったと共に、「でも僕にしかできないことなんだよな」っていういろんな思いもあって。だから最初のうちは、「僕は被災地代表としてではなくて、日本代表の1人として、羽生結弦としてこれから挑む試合に出ます」って言ってたんですね。ただ、そこからいろいろ試合を経て、たくさんのお手紙とかを頂いて思ったのは、今もすごく大事にしてることなんですけど、僕が被災地に近いとか、仙台も津波で被災した地区もあるんですけど、そういう所からがんばること、そういう所出身の選手ががんばることによって、より何か元気になって頂ければ、何か心が動くような演技ができれば。そういう思いを持ってやってたのが、その手紙とかをいろいろ読んでたら被災地の方々からエールを受けてて、逆に支えられてるというか。もちろん被災地の方々じゃなくても日本全国の方々から。

それがオリンピックまでずっと続いたと思いますし、自分が好きなことをやって、結果を出そうと勝ちたいと思ってることが、皆さんにこれだけ支えられてるっていうのをその時非常に強く思いました。でも一番大事なことだなと思います。誰かの為にやってるっていうのも非常に大事だと思うんですよね。

それが例えば自分が手紙出したからって、僕が直接手紙の分うまくなるわけではないし、結果が出るとかそういうわけでもない、それでもそういう気持ちが僕を通して1つになれるっていうか。震災のことでそれぞれ原発のことで悩んだり、津波のことで悩んだり、それこそ地震で家が壊れてしまって住めなくなった方もたくさんいらっしゃいますし。そういう孤独になった方々も含めて、西日本と東北・東日本というものが自分を通して1つになれる。一番その頃っていうか今もですけど、オリンピックで金メダル穫れた時も、嬉しかったなって一番思えるものだと思います。

――最初に神戸に来てくれて滑ってくれた時に、やっぱりみんな涙流したし、良かったと思う

羽生:賢二先生も非常に辛そうな表情されたのは覚えてますけれども。あの時は“白鳥の湖”をやって、今でも鮮明に覚えてるんですけども、あれが今の僕のスケートをしようと思った原動力ですし。

――あれは素晴らしかったと思う

羽生:多分これから一生あの演技はできないと思いますし、あの時の自分の気持ちだからこそ表現できた、暗い所から飛び立っていくというのを込めた表現だったので、あれは自分の中でも特別ですね。あそこで僕がもし神戸に呼んで頂けてなかったら、多分ほんとにスケートをする時に絶対考えてたと思うんですよ。「自分がほんとにスケートしてていいのかな」って。あの神戸に呼んで頂いたおかげで、本当に思ってますこれは。

――ありがとうございます

羽生:とんでもないです、こちらこそ。

どこかで文章を抜き出そうかと思ったのですが、どの言葉も心に響いてきて、そのまま載せました。

誰かのために何かする、というのは力が出る、ということ。
自分が元気を出してほしいと思って滑っていたはずが、逆に支えられていると気づいた、ということ。。。
全体を通して感じるのが、どんな時でも感謝の心を忘れないこと。
2012ニース世界選手権のSPで7位と出遅れたときにも、お母様とお話していく中で、皆さんに支えられている、という話になったというお話を聞いて、やはりこの素晴らしいご両親あっての彼なのだな、と思うところでした。
西日本と東日本が自分を通して一つになれる、ということも、彼にとっては自分を通して少しでも東北の復興の力になれる、東北の方々の震災があったことを忘れないでいてほしい、という心を、ともすれば忘れがちな西日本の人々に伝えることができる、ということが大切で、逆に力になるのでしょう。
もう、「震災の復興を背負わされてる可哀想な子ども」ではなく、自分自身の意思で誇りをもってしているのだ、と頼もしく感じました。

そして、クリケットでのお話。
クリケットでは練習環境からか「オン」状態で、ハビナム以外とはあまりキャピキャピwしていないのかな?
その分日本のアイスショーでは弾けているみたいです。

いつか書こうと思って、すでに1年と数ヶ月。
去年、別府で開催された「別府エキシビション」に行きましたが、それまでに見たファンタジーオンアイスでの羽生君とは少し違っているような印象でした。
より幼いというか。。。まるで高校生のスケート部の発表会のような仲むつまじさ、アットホーム感があったのです。
おそらく、同じ日本人同士で同年代であり、仲の良いりゅーじゅ君、刑事君、はるかちゃん、他に織田君、あっこちゃん、美姫ちゃん、ちびっ子の島田高志郎君、本田真凛ちゃん(今考えると豪華!)がいたことが大きかったのでは。
そこに、世界のスーパースターであるプル様とトマシュ、ハビが加わり、最高の雰囲気でした。

大好きな「ホワイト・レジェンド」は湖面のような素晴らしい照明に美しいポーズの一つ一つが浮かび上がり、本物の白鳥のようでした。
このプログラムは、きっと羽生君のライフワークのようなプログラムになって、きっと平昌オリンピックの年にどこかでしてくれるのではないか、もしオリンピック後のイタリアの世界選手権に出たら、EXで見てみたいと夢が膨らんでいます。
大きく雄々しくなり、空へと飛び立つ白鳥を、今一度見てみたいです。

ガクオンユニティ・フェイスさんのホームページにお写真があるのですが、いつこのページがなくなるかわからない。。。ということもあり、お写真を少しお借りします汗。
別府EXは雑誌にもほとんど写真がなく、記録に残せるものが記憶しかないのです~。

○別府フィギュアエキシビション(ガクオンユニティ・フェイス)


本田真凛さん


島田高志郎君

トマシュ・ベルネルの略して「金パン」で大盛り上がり!

やはりプル様は圧巻でした。存在の圧が違う!
脊髄の調子が早くよくなりますように祈ってます。
今考えると、別府にプル様がきて温泉宿の写真あげたってなかなかシュールだわ、これw

羽生結弦さん「言えないよ」
白いシャツがとても素敵でした!

「ホワイト・レジェンド」

自分が今まで見た中では、もしかしたら一番素晴らしかった白鳥さんだったかも。。。

フィナーレはジルさんのノリノリの曲に合わせてダンス!ダンス!
プル様と二人で踊るシーンもあってすごくかっこいい&かわいかった。

島田君とへ!高志郎くんかわいかった~。

真凛ちゃんとの貴重なツーへ!盛り上がった~!

もし真凛ちゃんがオリンピックでメダルとかとったら超貴重な写真になるわ、これ。

最後に4回転ループ成功時のわちゃわちゃ♪

成功!!!


君たちは子犬かwww

男子だんごのできあがり~。
めっさかわゆい!
今年はフツーになっちゃっていたけど、去年はこんなにわちゃわちゃ喜んでました。
あと、ハビ君よ。。。顔近すぎだと思うの。

きっと、今年は去年あったオリンピックチャンピオンとしての気負いもなくなって、リラックスしてアイスショーにのぞめたのかもしれないね。
日本にいたのも、いいオフ時間になったかな。

どうか良いスケートライフをおくっていますように。

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